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日生球場、大阪アマチュア野球やパ・リーグ熱戦の舞台だった都会のスタジアム【プロ野球本拠地物語】

2022 8/28 06:00広尾晃
イメージ画像,ⒸSPAIA

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アマチュア用の球場として建設された日生球場

日本生命球場(日生球場)は大阪市中央区森之宮に、1997年まであったスタジアムだ。JR大阪環状線の森ノ宮駅を出て西側、阪神高速東大阪線に沿って緩やかな坂を上って行くと右手には大阪城が見える。大阪の街中にありながら緑も多く、ロケーションは最高の球場だった。

坂道は野球場をモチーフにした敷石で舗装されており、球場へ向かう道すがら、野球観戦への期待が否応なく高まったものだ。階段を上って球場のゲートをくぐるとパッと視界が開けてダイヤモンドが見えた。

野球場をモチーフにした敷石


日生球場は、1950年6月に開場。当初は社会人野球の日本生命硬式野球部専用グランドとしてスタートした。同年9月に南海電鉄が南海ホークスの専用球場として大阪市内に建設した大阪スタヂアム(大阪球場)は最初からプロ野球専用の球場だったが、日生球場はアマチュア野球の球場として建設された。

球場の構造も対照的だった。大阪球場は「すり鉢」と言われるほど傾斜が急な客席が名物だったのに対し、日生球場のスタンドの傾斜は緩やか。観客席は2万人前後で、ゆったりと試合を観戦することができた。ただ、内野の一三塁側にバックネットを支える太い柱が4本立っていて、観客の視界を遮っていた。また、バックネット裏には二階席があったが外野席は小さく、ペナントレースでは外野席に観客を入れないことも多かった。

もともとアマチュア野球の球場として建設されたこともあり、設備は質素で内野自由席と外野席は木製ベンチだった。また、トイレやロッカールームも古く60年代後半までは女性トイレがなかった。甲子園のスターだった太田幸司が1970年に近鉄入りして女性ファンが押し寄せたため、女子トイレが新設されたと言われている。近鉄にやってきた大物外国人のドン・マネーが短期間で退団したのは、日生球場の不衛生な環境に不満を持ったことも一因だとされる。

本塁打が出やすく観客との距離も近かった

日生球場は、関西六大学や高校野球の大阪府大会の会場としても使用された。1970年代に入って高校球界でPL学園が台頭。PL学園は日生球場にも大応援団を動員し、内野席で人文字を作り大音量の吹奏楽で相手チームを圧倒した。

開場当初はプロ野球の試合も数回行われたが、1954年からアマチュア専用として使用され、近鉄が使い始めたのは1958年から。当時本拠地としていた藤井寺球場にはナイター設備がなかったため、近鉄が照明費用を負担する形で日生球場を準本拠地として使用することになったのだ。

球場のサイズは両翼90.4m、中堅116mと狭く、左右中間のふくらみが少ないためホームランが良く出る。プロ野球の公式戦は1540試合行われたが、本塁打数は3094本と1試合当たり2.01本。これは、1000試合以上公式戦が行われた球場である東京ドーム(2.21本)や明治神宮野球場(2.10本)、広島市民球場(2.05本)に次いで多い投手泣かせの球場だった。

ファウルゾーンが比較的狭く、観客席とグラウンドの距離が近かった。また、めったに満員にならず閑散としていたので、ファンのヤジがグラウンドまでよく届いた。

筆者が1975年9月に近鉄-日本ハム戦を観に行った時のことだ。日本ハム4番の張本勲が打席に立つと、近鉄の応援席から「張本、お前は悩みを持っている!来年は巨人に行くべきか、残るべきか!」と大きな野次が飛んだ。当時、『張本放出、巨人入り』と週刊誌などに記事が出ていたからだ。張本は声が飛んだ方向を見て、ニヤッと笑ったことを覚えている。

一時は日生球場で年間50試合ほど行われていた。しかし、1984年に近鉄の本拠地である藤井寺球場に照明が設置されてからは、日生球場での試合数は減少。皮肉なことにこの時期から観客数は少し増えた。

1990年4月18日に行われた近鉄-オリックス戦では、デビュー2試合目の野茂英雄が先発したが、門田博光や藤井康雄に一発を浴び、7失点して負け投手になっている。

1997年に閉鎖、現在はショッピングモールに

1996年5月9日の公式戦を最後に日生球場ではNPBの試合が行われなくなり、1997年に閉鎖。そしてこの年、大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)が開場した。球場跡地は長い間、空き地になっていたが、2015年にショッピングモール「もりのみやキューズモールBASE」がオープンした。以来、周辺住民の憩いの場となっている。

日生球場跡地にある「もりのみやキューズモールBASE」


キューズモール入り口の広場には人工芝が敷かれ、中央には白い塗料でホームベースとピッチャーズプレートが描かれている。その間隔は公認野球規則と同じ18.44mだという。この地に日生球場があったことにちなんでいると思われるが、説明などが一切ない。そのため、若いファミリー層などは、ここにプロ野球選手が活躍する本格的なスタジアムがあったとは夢にも思っていないのではないだろうか。

キューズモール入り口広場の様子


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