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高校野球とタイガースのスター生んできた阪神甲子園球場【プロ野球本拠地物語】

2022 8/6 06:00広尾晃
阪神甲子園球場,Ⓒbeeboys/Shutterstock.com
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Ⓒbeeboys/Shutterstock.com

設計責任者は野田誠三

阪神甲子園球場は、阪神タイガースの本拠地であり、春の選抜、夏の選手権という2つの高校野球の全国大会の開催球場でもある。

1924年8月1日開場と、プロ野球12球団の本拠地球場としては最も古い。現在ある本拠地球場で昭和以前に完成した球場は、甲子園、明治神宮野球場(1926年開場)、楽天生命パーク宮城(1950年)、横浜スタジアム(1978年)、ベルーナドーム(1979年)、東京ドーム(1988年)の6つだ。

甲子園は当初、「夏の高校野球」の前身である「全国中等学校優勝野球大会」の試合会場として造られた。

この大会は1915年に阪急電鉄が所有する大阪府の豊中グラウンドで第1回が開催されたが、主催者の大阪朝日新聞社が大々的に告知したこともあり、電車に乗り切れない客が続出。そのため、1917年からは阪神電鉄が所有する鳴尾球場(現:阪神競馬場)で開催されることになった。

競馬場の中に野球場が2つある鳴尾球場では、当初2試合同時に行われていたのだが、野球熱が高まるにつれ観客を収容しきれなくなった。そこで大阪朝日新聞社は阪神電鉄に本格的な球場を沿線に建設することを要望。同じ兵庫県武庫郡鳴尾村の申川、枝川流域を埋め立てて新球場を建設することとなった。

設計責任者は、のちに阪神電鉄取締役会会長に就任し、阪神タイガース取締役相談役を務めた野田誠三だった。野田はニューヨーク・ジャイアンツの本拠地で、ヤンキースも使用していたポロ・グラウンズを視察。この球場を参考に新球場を設計した。

ポロ・グラウンズは1920年にベーブ・ルースが本塁打を量産したことで知られるが、本塁から右翼までは約78m、左翼までは約85mと左翼の方が長く、中堅は約147mもあり、右中間、左中間も137~8mあるという今では考えられない形状の球場だった。2階建ての観客席は巨大で、54,500人を収容。また内野側には大屋根がかかっていた。

この球場を手本にした甲子園は、巨大な観客席や後年「大鉄傘」「銀傘」と称される大屋根を持つ本格的な野球場となる。グラウンドは両翼が110m、中堅は120mだったが、左右中間が128mもある異様な形状だった。

甲子園球場の敷地内に掲げられている竣工時の「甲子園大運動場」の平面図のレリーフを見ると、現在のスタジアムとは全く異なる「三角おにぎり」のような形状のグラウンドだったことがよくわかる。

甲子園大運動場の平面図のレリーフ,ⒸSPAIA 甲子園大運動場の平面図のレリーフⒸSPAIA(撮影:広尾晃)


高校球児の聖地となった「甲子園」

1924年、干支でいう甲子(きのえね)の年に完成したことから「甲子園」と命名された球場を中心に、阪神電鉄が開発したレジャー施設や住宅地を含む周辺地域の正式地名も「甲子園」とされた。そして、1925年からは春の選抜大会も甲子園球場で行われるようになったこともあり、「中等学校野球(のちの高校野球)のメッカ」と呼ばれるようになった。

1934年にはMLB選抜チームが来日し、11月24日に甲子園で全米選抜と全日本軍の試合が行われた。結果は15-3で全米選抜の勝利。ベーブ・ルースが3番一塁で出場したが、二塁打を打ったものの本塁打を打つことはできなかった。このときルースは「Too large(でかすぎる)」と語ったという。ルースの記念碑も甲子園球場の敷地内に残されている。

ベーブ・ルースの記念碑,ⒸSPAIA ベーブ・ルースの記念碑ⒸSPAIA(撮影:広尾晃)


甲子園球場変貌の歴史

1936年にプロ野球が始まると甲子園は大阪タイガース(現阪神タイガース)が本拠地とした。しかし球場が巨大すぎたため、中等学校野球でもプロ野球でもさく越えの本塁打はなかなか出ず、本塁打はほとんどがランニングホームランだった。

戦後の1947年、他球場並みのサイズにするため、外野に「ラッキーゾーン」が設けられる。深い左右中間を小さくするためにフェンスが取り付けられたのだ。これによって他球場と同様のさく越えのホームランが出るようになった。ちなみに、ラッキーゾーンは同じ西宮市内の西宮球場にも設置されていた。

1976年の改修工事により、両翼91m中堅120mとなる。しかし左右中間は依然として深かったこともあり、ラッキーゾーンは存続。1992年にラッキーゾーンを撤去し、両翼を96mにした。

2007年から「平成の大改修工事」が行われ、老朽化した内外野のスタンドやスコアボードなどが全面的に改修された。2010年には春・夏の高校野球、阪神タイガース、阪神甲子園球場の歴史を伝える展示施設として、球場内に「甲子園歴史館(現:甲子園プラス※2022年3月にリニューアルオープン)」を開設。そして、2020年には照明がすべてLEDに置き換わった。近代的な球場としてよみがえった現在の甲子園球場。公式データでは両翼95m中堅118mとなっている。

甲子園名物の「ツタ」は、この改修工事でいったん撤去されたが、再び植えられて、少しずつ以前の景観に戻ってきている。

甲子園名物のツタ,ⒸSPAIA 甲子園名物のツタⒸSPAIA(撮影:広尾晃)


高校野球では各校の応援団はアルプス席で応援をすることになっているが、試合の合間の応援団の入れ替わりを容易にするため、アルプス席下部の観客席は撤去されている。このため、春夏甲子園の前後には毎回、観客席の撤去と再設置の工事が行われている。

最後に、この巨大な甲子園での本塁打記録を見ていきたい。プロ野球、高校野球それぞれの通算本塁打数上位5傑は以下の通り。

プロ野球での甲子園本塁打数5傑
1 掛布雅之 144本
2 田淵幸一 139本
3 岡田彰布 128本
4 真弓明信 125本
5 金本知憲 97本(広島で12本、阪神で85本)
※金本以外はすべて阪神で記録

高校野球での甲子園本塁打数5傑
1 清原和博 PL学園 13本(春4本/夏9本)
2 桑田真澄 PL学園 6本(春2本/夏4本)
2 元木大介 上宮 6本(春4本/夏2本)
2 中村奨成 広陵 6本(春0本/夏6本)
5 香川伸行 浪商 5本(春2本/夏3本)
5 鵜久森淳志 済美 5本(春2本/夏3本)
5 平田良介 大阪桐蔭 5本(春1本/夏4本)
5 森友哉 大阪桐蔭 5本(春1本/夏4本)
5 藤原恭大 大阪桐蔭 5本(春2本/夏3本)

この顔ぶれを見ると、甲子園は球史に残るスターを生み出してきたことがわかる。

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