25本塁打68打点はトップ、打率もリーグ2位まで上昇
ヤクルトの村上宗隆が絶好調だ。6月23日の中日戦で22号満塁弾、23号2ランを含む5打数4安打6打点、翌24日の巨人戦では24号、25号の2ラン2発などで5打点をマークし、2試合で計4本塁打11打点を荒稼ぎした。
25本塁打は2位の巨人・岡本和真に5本差、68打点は同じく岡本に10打点差をつけてリーグトップを走り、さらに6月の月間打率.433で打率もリーグ2位の.316まで上げ、トップの佐野恵太に迫っている。令和では初めて、2004年のダイエー・松中信彦以来となる三冠王も期待できる成績だ。
出塁率と長打率を合わせたOPSは、なんと12球団トップの1.107。長打率だけでなく、12球団最多の53四球を選ぶなど出塁率も高いことは、何より強打者の証明だろう。他球団のバッテリーからすれば、本塁打を打たれるくらいなら歩かせた方がマシという心理が働いているのかも知れない。
野村克也、王貞治、落合博満らそうそうたる面々
プロ野球の長い歴史を振り返っても三冠王はわずか7人しかいない。歴代の三冠王とその成績が下の表だ。
初めて三冠王に輝いたのは巨人の中島治康。1938年秋シーズン、打率.361、10本塁打、38打点の成績を残した。
戦後初の三冠王は南海・野村克也。1965年に打率.320、42本塁打、110打点をマークした。8年連続本塁打王に輝いたうちの5年目のシーズンだった。
通算868本塁打の巨人・王貞治は2度の三冠王に輝いている。1973年は打率.355、51本塁打、114打点。翌1974年は打率.332、49本塁打、107打点と2年連続で打撃3部門のタイトルを独占した。
現役時代、三冠王に最もこだわったのはロッテ・落合博満だろう。1982年に打率.325、32本塁打、99打点をマークすると、1985年には打率.367、52本塁打、146打点の驚異的な成績を残し、翌1986年も打率.360、50本塁打、116打点で計3度もトリプルクラウンに輝いた。
最後の三冠王は松中信彦
外国人初の三冠王は阪急のブーマー・ウェルズだった。1984年に打率.355、37本塁打、130打点でMVPに輝き、優勝に貢献した。
「神様、仏様」と崇められた阪神のランディ・バースは1985年に打率.350、54本塁打、134打点で優勝に貢献すると、翌1986年も史上最高打率となる.389、47本塁打、109打点で2年連続三冠王に輝いた。
そして、平成唯一の三冠王が松中信彦だ。2004年に打率.358、44本塁打、120打点をマークした。
以来、昨年まで17年間、三冠王は誕生していない。「村神様」とも呼ばれる令和屈指のスラッガーは、ファンの夢も乗せて神宮にアーチを描く。三冠王誕生の瞬間を楽しみに待ちたい。
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