阪神の永久欠番は3つ
プロ野球の各球団には偉大な功績を残した選手を称えて永久欠番に認定された背番号がある。阪神なら藤村富美男氏の「10」、村山実氏の「11」、吉田義男氏の「23」の3つの番号が認定されているが、永久欠番ではなくても大切に扱われる背番号もある。
歴代の主力打者やエース級の投手が背負う番号には、各球団で特有の重みがあり、単なる数字ではない。阪神では掛布雅之氏が背負った「31」や鳥谷敬氏が背負った「1」もそのひとつだろう。歴代の主な背番号1を紹介する。
プロ野球の各球団には偉大な功績を残した選手を称えて永久欠番に認定された背番号がある。阪神なら藤村富美男氏の「10」、村山実氏の「11」、吉田義男氏の「23」の3つの番号が認定されているが、永久欠番ではなくても大切に扱われる背番号もある。
歴代の主力打者やエース級の投手が背負う番号には、各球団で特有の重みがあり、単なる数字ではない。阪神では掛布雅之氏が背負った「31」や鳥谷敬氏が背負った「1」もそのひとつだろう。歴代の主な背番号1を紹介する。
華麗な守備で「牛若丸」と称され、巨人の広岡達朗と何かと比較された名ショート・吉田義男は、監督に初めて就任した1975年から3年間、背番号1を背負った。
前年1974年に近鉄から移籍した一枝修平が1年間だけ「1」を背負ったが、同年限りで引退し、コーチ就任にともなって「74」に変更。現役時代は「23」を背負った吉田義男は、ヤンキースなどで監督を務めたビリー・マーチンへの憧れから同じ「1」を選んだという。
3シーズンの順位は3位、2位、4位。1年目の1975年に田淵幸一が本塁打王に輝き、若きスラッガー掛布雅之が台頭し始めたものの優勝には届かなかった。
吉田は1985年に2度目の監督に就任。背番号81で見事、21年ぶりの優勝を果たした。1997年に3度目の監督に就任した際は背番号83だった。
吉田監督の退任後に「1」を受け継いだのが植松精一だった。法政大時代は同期の江川卓らと東京六大学リーグで黄金時代を築き、1977年ドラフト2位で入団。1年目は104試合に出場したが、ケガもあって出場機会が減り1983年にユニフォームを脱いだ。
弘田澄男は藤倉一雅との交換トレードでロッテから移籍した1984年から4年間、「1」を背負ってプレーした。1年目は110試合に出場して打率.313、2年目の1985年も85試合に出場して優勝に貢献した。
身長163センチと小柄ながら、ロッテ時代の1975年にはリーグ最多の148安打を放つなど、通算1506安打をマークした巧打者だった。
弘田の後を受け継いだのが野田浩司だった。九州産交から1987年ドラフト1位で入団した剛腕で、キレのいいストレートと落差の大きいフォークを武器に活躍。3年目の1990年には11勝12敗5セーブの成績を残した。
1991年から背番号18に変更。1992年オフに松永浩美とのトレードでオリックスに移籍すると、1993年に17勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得した。さらに1995年4月21日のロッテ戦で1試合19奪三振の日本新記録を樹立(佐々木朗希とともに現在も最多記録)。2000年オフに引退するまで89勝87敗9セーブの成績を残した。
野田の移籍によって、1991年から「1」を受け継いだのがトーマス・オマリーだ。
シュアな打撃で1年目から打率.307、21本塁打、81打点をマークすると、1992年には打率.325とハイアベレージを記録し、シーズン最後までヤクルトと優勝を争ったチームに貢献した。さらに1993年には打率.329で首位打者のタイトルを獲得し、1992年からヤクルトに移籍した1995年まで4年連続で最高出塁率に輝いた。
ヤクルトでプレーした2年間は背番号3。NPB計6シーズンで打率.315、820安打、123本塁打をマークした優良助っ人だった。
オマリーの移籍後に「1」を背負ったのが中込伸。1988年ドラフト1位で入団した当初は「99」を背負い、1992年には9勝8敗、防御率2.42をマークして新庄剛志、亀山努らとともに大活躍した。
巨体から繰り出す重い速球を武器に通算41勝62敗2セーブ。2001年オフに退団後は台湾でもプレーした。
2001年から3シーズンは西武から移籍した谷中真二が背負い、2004年から継承したのが鳥谷敬だ。早稲田大2年春に三冠王に輝くなど東京六大学通算115安打をマークし、2003年ドラフト自由獲得枠で阪神に入団。2011年に最高出塁率に輝くなど、三拍子揃った内野手として不動のレギュラーに定着した。
2004年9月6日から2018年5月27日までNPB歴代2位の1939試合連続出場(667試合連続フルイニング出場を含む)。数少ない阪神の生え抜きスター選手として絶大な人気を誇った。
2020年から2年間はロッテで背番号00をつけてプレーし、2021年に引退。通算2243試合出場で打率.278、2099安打、138本塁打、830打点、131盗塁の成績を残した。
鳥谷が移籍した2020年以降「1」は空き番となっている。次に受け継ぐのは誰になるか、あるいは鳥谷本人が指導者として復帰して再び背負うのか。タテジマの「1」が甲子園でスポットライトを浴びる日が待ち遠しい。
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