東洋大時代にアトランタ五輪で銀メダルに輝いた今岡
開幕9連敗と出だしでつまずき、低迷から抜け出せない阪神。矢野燿大監督がキャンプイン前日に今季限りの退任を表明し、退路を断って迎えた2022年シーズンだが、2005年以来17年ぶりの優勝は早くも風前の灯火と言わざるを得ない状況だ。
その17年前に147打点を挙げて優勝に大きく貢献したのが今岡真訪(当時は誠)だった。2003年の優勝時には首位打者にも輝いた希代のヒットメーカーの野球人生を振り返りたい。
今岡は1974年9月11日、兵庫県宝塚市出身。PL学園高3年春のセンバツに出場し、1回戦で四日市工に14-1、2回戦で仙台育英に3-1で勝ってベスト8入り。準々決勝で東海大相模に0-2で敗れた。
東洋大に進学後も強打の内野手として活躍し、東都リーグ通算100安打をマークした。4年生だった1996年には日本代表としてアトランタ五輪に出場し、23打数10安打、2本塁打、7打点、打率.435と大活躍。松中信彦(新日鉄君津)、福留孝介(日本生命)、井口忠仁(青山学院大)、谷佳知(三菱自動車岡崎)らとともに銀メダルに輝き、同年秋のドラフト1位で阪神に入団した。
1年目の1997年から98試合に出場し、翌1998年には133試合出場、打率.293、7本塁打、44打点の好成績。順調に一流プレーヤーへの階段を上っていくかと思われた。
優勝した2003年に首位打者
吉田義男監督が退任し、野村克也監督が就任すると風向きが変わる。1999年は打率.252、2000年はわずか40試合の出場にとどまり、打率.212に終わった。
当時、野村監督は「手を抜いているように見える」などとマスコミの前で今岡を批判。非凡な才能の持ち主は、独自の理論を持つ名将の下で輝きを失っていった。
今岡の打撃センスが一気に開花したのが、星野仙一監督が就任した2002年だ。1番打者としてリーグ5位の打率.317、15本塁打、56打点をマーク。打撃3部門全てで自身最高の数字だった。
そして迎えた2003年、開幕から首位を突っ走った星野阪神は7月8日にマジック点灯。切り込み隊長役の今岡は120試合に出場し、打率.340で首位打者のタイトルを獲得し、18年ぶり優勝に大きく貢献した。
俊足とは言えない右打者で内野安打がほとんどなかったにもかかわらず165安打も積み上げたのは、広角に打ち分けるバットコントロールの証明だろう。
歴代3位の147打点で自身2度目の優勝に貢献
岡田彰布監督が就任した2004年も打率.306、28本塁打、83打点の好成績。翌2005年はチャンスに強い5番打者としてポイントゲッターの役割を果たし、2年ぶりの美酒に酔った。
打率は.279だったが、キャリアハイの29本塁打を放ち、1950年に「初代ミスタータイガース」藤村富美男が作った球団記録(146打点)を更新する147打点をマーク。小鶴誠(松竹)の161打点、ロバート・ローズ(横浜)の153打点に次ぐ日本プロ野球歴代3位の記録だった。
その後、成績は下降し、2009年に戦力外通告。合同トライアウトを経てロッテ入りした。ロッテでは2シーズンプレーして引退。通算1309試合出場、1284安打、122本塁打、594打点、打率.279の成績を残した。
引退後は、ロッテだけでなくアトランタ五輪でも同じユニフォームを着た井口資仁監督の下、二軍監督や一軍ヘッドコーチを務め、2021年限りで退団。現在はプロ野球解説者として活動している。
前回の優勝から17年が経過した阪神。覇気を失ったかのようなタテジマの現状はOBとしても寂しい限りだろう。当時の今岡のようなポイントゲッターの出現が待たれる。
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