特異なキャリアを歩んだ中嶋聡
昨年のパ・リーグ優勝監督、オリックスの中嶋聡監督は、極めて特異なキャリアの持ち主だ。一軍監督としては代行も含めて今季で3年目だが、目覚ましい実績を挙げている。その采配とキャリアとは無関係ではないと思われる。
中嶋聡は1986年、秋田県立鷹巣農林高からドラフト3位で阪急に入団。この年は、愛知・享栄高の近藤真一や亜細亜大・阿波野秀幸などが注目されていた。中嶋は身体能力の高い捕手として愛工大名電高からドラフト2位で中日に入った山崎武司とともに、玄人筋から注目される存在だった。
一軍初出場は1年目の1987年10月18日の南海戦。8番捕手で先発出場し、同じく新人の左腕、高木晃次の球を受けた。相手の南海の4番は39歳になる門田博光だった。そして最後の一軍出場は、28年後、2015年10月1日のロッテ戦。代打に出た大谷翔平に代わってマスクをかぶり、石井裕也の球を受けた。この年、46歳だった。
実働29年は野手最長記録
実働29年は、工藤公康、山本昌と並ぶ史上最長だが、野手では中嶋が単独1位だ。野手の実働年数5傑を見てみよう。
中嶋の29年が1位、以下27年の谷繁元信、26年の野村克也と捕手が並んでいる。また同期の山﨑武司も25年で4位にいる(山﨑は3年目の1989年に一軍デビュー)。
ただ、試合数に占める出場試合数でみると、中嶋を除く5傑の選手が65~80%台なのに対して、中嶋は39.1%と極端に低い。所属チーム別の出場率を見ると、移籍したチームごとの中嶋のポジションがわかる。
1988年10月23日阪急-ロッテ戦は、阪急ブレーブスとして最後の試合だった。先発投手はこれも現役最後の登板となった大投手・山田久志で、9回自責点1の完投で通算284勝目を飾った。19歳だった中嶋はこの試合で最後の女房役を務め、決勝の3ランを打っている。オリックスとなった翌年からは正捕手となり、ゴールデングラブ1回、ベストナイン1回、リーグを代表する捕手になった。
1997年オフにはFA宣言し、西武へ移籍。1998年のドラフト1位で入団した松坂大輔とバッテリーを組むも、伊東勤から正捕手の座を奪うことはできなかった。2002年オフにトレードで横浜へ。開幕戦でスタメン捕手を務めるなど期待されたが、故障で19試合の出場にとどまり、オフに金銭トレードで日本ハムへ移籍した。
日本ハムでは出場試合数が減少。2007年からはコーチ兼任となり、2009年以降は10試合以下の出場にとどまったが、それでも中嶋は現役選手として登録され続けた。
長く現役を続けられた2つの理由
なぜ中嶋聡は、試合にほとんど出なくても現役選手として登録され続けたのか。
一つは、捕手としての圧倒的な「経験値」がある。昭和の大投手・山田久志から、平成の「怪物」松坂大輔、ダルビッシュ有と、時代が異なり、タイプが異なるエースの球を受けてきた。こんな捕手は他にはいない。リードのうまさにも定評があった。
さらに中嶋は救援投手との相性も良かった。オリックス時代の鈴木平、長谷川滋利、西武時代の森慎二、日本ハムでは建山義紀、武田久などの救援投手をうまくリード。「リリーフ捕手」としても起用されるなど、投手にとっては非常に心強い存在だったのだ。
もう一つは、コンディション管理に関する知識の豊富さだ。中嶋は日本ハムに移籍後、他球団も含めて毎年、若手選手とともに自主トレーニングを行った。右ひじを痛めてリハビリ中だったある投手は、中嶋からひじに負担を与えない腕の動かし方や、練習の仕方などのアドバイスを細かく受けた。投手だけでなく野手にも適切な助言を行った。アドバイスは具体的で役に立ったという。豊富な経験から選手に的確なアドバイスができたのだ。
そして日本ハム独特の事情もあった。日本ハムの一軍は札幌、二軍は千葉の鎌ヶ谷にある。一軍の捕手が負傷したときなど、緊急で二軍から呼び寄せるのが難しかった。中嶋は実質的にバッテリーコーチだったが、40歳を過ぎても捕手としての守備能力をキープして一軍に帯同。いつでもリカバリー出場ができる準備をしていた。中嶋は試合に出なくてもチームにとって欠かせぬ存在だったのだ。兼任コーチは9年に及んだが、これはNPB最長だ。
長いキャリアで養った「選手を見る目」
中嶋は引退後、日本ハムからMLBに派遣され見聞を広めた。2019年にオリックスの二軍監督に就任、そして2020年シーズン途中に一軍監督代行となり、2021年、正式に監督に就任すると、25年ぶりのリーグ優勝を果たした。
オリックスはこれまで宮崎市での春季キャンプでは1軍主体のA組、2軍中心のB組に分けて調整をしてきた。しかし中嶋監督は就任した2021年、キャンプの編成を大きく変えた。
A組には仕上がりを手元で確認したい選手、B組には見なくてもしっかり調整できる選手、そしてC組は調整が遅れている選手。投手は組み分けに関係なく10人が同時に登板できる大型のブルペンで投げるので、全員の仕上がりを確認することができた。2022年でいえば、吉田正尚はC組スタート、杉本裕太郎はB組、そして紅林弘太郎がA組だった。中嶋監督の目配りは春季キャンプでも活きていたのだ。
29年の長いキャリアで中嶋聡は「選手を見る目」を養ってきたといえよう。それは得難い資質となって、指揮官になった昨年に開花した。今季も経験に裏打ちされた中嶋采配に注目だ。
【関連記事】
・2022年にFA権取得見込みのプロ野球選手、宣言なら争奪戦必至の目玉は?
・オリックス山本由伸が筋トレせず「やり投げ」を取り入れる理由
・オリックス吉田正尚がこだわる「イエローバーチ」とは?令和初の三冠王へいざ出陣