かつては「規定打数」、今季は443打席
プロ野球の「規定打席」とは打率や出塁率のランキングを算出する際に基準となる打席数のことだ。
規定打席は、選手が所属するチームの試合数×3.1で算出される(小数点以下四捨五入)。これはNPBもMLBも同様。NPBは143試合なので「443」が規定打席になる。MLBは162試合なので「502」だ。
かつては「打席」ではなく「出場試合数」だった時代もある。その後、「規定打数」が考案されたが、NPBでは1957年から「打数」に四死球や犠打犠飛などを加算した「打席」に基づく「規定打席」が導入されている。
規定打席は、打率や出塁率ランキングの基準となっているが、選手には「レギュラー」を意味する数字として意識されている。
スポーツ紙や一般紙のスポーツ欄では、日々、「打率ランキング」が掲載される。かつては、規定打席に到達すれば「新聞に名前が載る」と選手が目標にしたものだ。今はネットでランキングを見る時代だが、規定打席は今も若手選手の目標になっている。
21回到達の王貞治に続く衣笠祥雄、張本勲、野村克也
歴代の規定打席到達回数ランキングが下の表だ。なお、春・秋の2シーズン制で年2回記録が集計されていたプロ野球草創期の1936年から38年までの成績や「規定打数」時代も含めている。
「実働」は一軍の試合に1試合でも出たシーズンの数。首位打者、3割、打撃ランキング10位以内、通算打率も載せている。
王貞治が21回規定打席に到達して最多。王は1959年に早稲田実業から巨人に入団。1年目は規定打席に達しなかったが、2年目から引退した1980年まで常に打撃ランキングに載っていた。まさに不動の大選手だった。
続いて2215試合連続出場のNPB記録を作った衣笠祥雄、NPB最多の通算3085安打を記録した張本勲、戦後初の三冠王となった大捕手・野村克也が20回で続く。16傑のうち、土井正博と有藤道世を除く14人が野球殿堂入りしている。まさに日本プロ野球を代表する大選手たちだ。
なお、デビューから引退まですべて規定打席以上だった選手は、山本浩二(18シーズン)、長嶋茂雄(17シーズン)、有藤道世(16シーズン)の3人。いずれも大卒の即戦力で、デビュー年からレギュラー選手となった。
長嶋と有藤は新人王に選ばれている。3人ともフランチャイズプレイヤーでキャリアを終え、山本はミスター赤ヘル、長嶋はミスタージャイアンツ、有藤はミスターロッテと呼ばれた。エリート中のエリート選手と言えよう。
なお坪内道典は、プロ野球が創設された1936年にデビュー、秋シーズンから打率ランキングに載り、太平洋戦争の激化でプロ野球が中止された1945年を挟んで、引退する1951年まですべて「規定打数」に到達した。坪内は史上初の1000試合、1000安打も記録したが、多難な動乱の時代に野球をし続けたのも大きな功績だ。
また野村克也は激職の捕手で20回規定打席に到達。驚異的な数字だと言える。捕手で野村に次ぐのは15回の木俣達彦だ。
外国人選手では、アレックス・ラミレスの12回が最多。ラミレスは外国人選手初の2000安打も記録した。
イチローはNPBでは3年目の1994年に初めて到達し、210安打のNPB記録をマーク。同年から7年連続首位打者を記録して2001年、MLBに移籍した。以後、2013年まで13年連続で規定打席に到達。MLBでも首位打者2回、3割10回、10位以内9回を記録。日米通算では規定打席に20年連続で到達している。
現役1位は鳥谷敬、記録伸ばしそうな浅村栄斗
では、現役選手はどうだろうか。
このたび引退を表明したロッテの鳥谷敬が最多の13回。鳥谷は阪神史上最多の2082安打を打っている。
しかし盛りを過ぎたベテランの名前が多い。この顔ぶれの中で、今季も規定打席に到達したのは、ヤクルトの青木宣親と、楽天の浅村栄斗だけ。今後も記録更新の期待が高いのは11月に31歳になる浅村だろう。
もう少し長い目で見ればデビュー2年目から3年連続で規定打席に到達しているヤクルトの村上宗隆や、1年目から規定打席に達したDeNAの牧秀悟に期待したいところだ。
プロ野球選手、特に野手は試合に出なければ「話にならない」と言える。ライバルとの競争に打ち勝ち、怪我や故障をすることなくフル出場してシーズンを全うするのは、それだけで高く評価される。
900人以上いるプロ野球選手の中で、今季、規定打席に到達したのはセ32人、パ29人の61人だけ。その価値を改めて評価したいものだ。
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