「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

阪神・佐藤輝明とDeNA・牧秀悟に期待!40年ぶり複数の新人選手による20本塁打超えとなるか

2021 4/13 11:00勝田聡
阪神タイガースの佐藤輝明ⒸSPAIA
このエントリーをはてなブックマークに追加

ⒸSPAIA

牧が4本塁打、佐藤は3本塁打とパワーを発揮

プロ野球が開幕し2週間ほどが経過した。すでに多くの新人がデビューを果たしているが、牧秀悟(DeNA)と佐藤輝明(阪神)のふたりが本塁打を量産している。

牧は4月11日終了時点でリーグ3位タイとなる4本塁打を記録。それだけではなく打率.383(60打数23安打)もリーグ3位、14打点はリーグ2位とまさに打撃面でチームを引っ張っている。一方の佐藤は打率.196(56打数11安打)とやや苦戦しているが、それでも3本塁打を放っている。特に4月9日のDeNA戦では、横浜スタジアムの右中間スタンド場外へ消える驚がくの一発を放った。

現時点の本数を143試合に換算すると、牧は38本、佐藤は29本と新人離れしたハイペース。だが、過去の記録を振り返ってみると、ルーキーにとっては20本塁打はもちろんのこと、2桁本塁打すらかなり高いハードルであることがわかる。

平成以降、新人の2桁本塁打は松井秀喜ら14人

平成元年(1989年)以降に入団1年目で2桁本塁打を達成した選手は14人いる。直近の到達者は2016年の吉田正尚(オリックス/10本)で、ここ4年誕生していない。吉田より前となると2010年の長野久義(巨人/19本)まで遡る。つまり、2010年代に2桁本塁打を記録した新人は、この2人のみということになる。

2000年代は2001年に阿部慎之助(巨人/13本)、2003年に村田修一(横浜/25本)と後藤武敏(西武/11本)の3人が2桁本塁打を記録している。1990年代は石井浩郎(近鉄/22本)を皮切りに、1992年に片岡篤史(日本ハム/10本)、1993年に松井秀喜(巨人/11本)、1996年に清水隆行(巨人/11本)、1998年に高橋由伸(巨人/19本)、1999年に二岡智宏(巨人/18本)と福留孝介(中日/16本)の7人だ。

計算すると、平均1年に1人も誕生していないため希少価値は高いといえる。また、14人のなかで20本塁打を超えたのは石井と村田だけで、30本塁打以上を記録した選手はひとりもいなかった。

40年ぶりの複数の新人による20本塁打到達はなるか

新人による2桁本塁打という壁が高いことはわかった。では、その高い壁を同じシーズンに複数の選手が越えたことはあるのだろうか。

1989年以降の新人による2桁本塁打ⒸSPAIA


平成に入ってからだと1989年に大豊泰昭(中日/14本)と中根仁(近鉄/10本)、1999年に二岡と福留、2003年に村田と後藤が同シーズンに二桁本塁打を達成しているが、2004年以降はそういった記録はない。

また、平成以降で20本塁打に到達した新人が同シーズンに2人以上いた記録はない。それ以前を遡ってみると、1950年の深見安博(西鉄/22本)と樋笠一夫(広島/21本)と戸倉勝城(毎日/21本)、1969年の田淵幸一(阪神/22本)と有藤通世(ロッテ/21本)、1981年の原辰徳(巨人/22本)と石毛宏典(西武/21本)の3例のみ。原と石毛が達成した1981年から39年間誕生していない。

ちなみに1950年の3人は30歳を超えてからの入団となっている。ドラフト制度がなかったこともあるが、セ・パ2リーグ制の初年度という特殊な事情があったことは付け加えておく。

新人選手の20本塁打以上ⒸSPAIA


同様に30本塁打を複数の新人が記録したケースは、NPBの歴史上一度もなかった。そもそも、30本塁打以上を記録したのは1959年の桑田武(大洋/31本)と1986年の清原和博(西武/31本)の2人しかいない。

2021年シーズン、40年ぶりに複数の新人が20本以上の本塁打を放つことになるだろうか。

【関連記事】
藪恵壹が阪神を逆指名した1993年ドラフトの答え合わせ、一番出世は?
DeNAのルーキー牧秀悟は村田修一2世になれるか 新旧ハマの主砲を徹底比較
阪神・佐藤輝明が本塁打を量産できる4つの技術的要因