「ニュースステーション」ぶち抜きで生中継
「今日はお伝えしなければならないニュースが山ほどあるのですが、このまま野球の中継をやめるわけにもいきません」
1988年10月19日午後10時、いつも通りに始まったテレビ朝日「ニュースステーション」のキャスター・久米宏は視聴者にそう伝えた。政治、経済、事件、事故、全てのニュースをすっ飛ばし、画面は川崎球場に切り替わる。普段は閑古鳥の鳴くことが多かった川崎は、球場の外にも人があふれ、日本中の注目を集めていた。
「10・19」。昭和最後のシーズン、今も伝説として語り継がれるロッテ対近鉄のダブルヘッダーが行われた。舞台は、今はなき川崎球場、主演は、今はなき近鉄バファローズ―。
この日の夕方、阪急ブレーブスが身売りするという衝撃的なニュースが全国を駆け巡った。売却先はオリエントリース(現オリックス)。同年9月には南海ホークスがダイエーに身売りすることを発表したばかりだった。
昭和天皇の健康状態が悪化していた当時、パ・リーグにも地殻変動のような、大きなうねりが起きていた。プロ野球史に残る名勝負は、そんな状況でプレーボールが告げられた。
梨田昌孝の決勝打で第1試合に劇的勝利
西武ライオンズの黄金時代。清原和博、秋山幸二、工藤公康らを擁するスター軍団は、この年も開幕から首位を快走していた。
しかし、6月に大麻所持のため逮捕されたリチャード・デービスに替わる助っ人として、ラルフ・ブライアントが加入した近鉄は夏場から猛追。10月19日のダブルヘッダーで近鉄が連勝すれば優勝、1試合でも引き分け以下なら西武が優勝という、昭和のプロ野球のクライマックスだった。
午後3時に始まった第1試合、1-3とリードされた近鉄は8回表に代打・村上隆行の左中間二塁打で同点。9回表2死二塁から、この年限りでの引退を決めていた代打・梨田昌孝の中前タイムリーでついに勝ち越した。
9回裏、2日前に128球を投げて完投していた若きエース・阿波野秀幸が最後を締めて逆転勝ち。優勝の望みを残したまま、運命の第2試合を迎えることになった。
時間を浪費した有藤監督の猛抗議
第2試合の開始は午後6時44分。当時は「試合開始から4時間を経過した場合は、そのイニング終了をもって打ち切り」と規定されていた。このルールが後の悲劇的な結末につながる。
一進一退の攻防が続き、3-3の同点で迎えた8回表。近鉄はブライアントの右越え本塁打で勝ち越す。その裏、仰木彬監督は第1試合に続いて阿波野を投入したが、1死から高沢秀昭に左越えソロ本塁打を浴び、再び同点。見えては隠れる勝利の女神は、なかなか微笑まなかった。
9回裏、ロッテの二塁走者・古川慎一の牽制死を巡って、ロッテ・有藤通世監督がベンチを飛び出して猛抗議。審判に詰め寄り、抗議時間は9分に及んだ。時間は刻々と進み、制限時間の4時間がジワジワと近付いていた。
夢が散っても戦い抜いた近鉄ナイン
同点のまま突入した延長10回表、近鉄は1死一塁からベテラン・羽田耕一が打席に入る。残り時間を考えると、この回が最後の攻撃。一塁走者を還さないと優勝はない。しかし、羽田はセカンドゴロに倒れ、悪夢の併殺…。
この時、試合開始から3時間57分が経っていた。事実上の終戦だ。沈み込む近鉄ナインは、それでも気持ちを奮い立たせて守備位置に就く。空しく、実りなき3アウト。西武のリーグ優勝が決まり、それでも敗者は最後まで戦い抜いた。
第1試合開始から7時間33分。パ・リーグの最も長く、熱い1日はこうして終わった。
翌年、仰木近鉄は雪辱に燃えていた。10月12日、西武とのダブルヘッダーでブライアントが4打数連続本塁打を放って西武を粉砕。見事にリーグ優勝を果たした。1年越しに見た勝利の女神の微笑みは、最高に美しかった。
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