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平成16年 スト決行も近鉄とオリックスが合併【平成スポーツハイライト】

2019 1/15 07:00SPAIA編集部
合併,ⒸShutterstock.com
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日経のスクープで発覚した球団合併

今日のプロ野球の隆盛は平成16年(2004年)の球界再編騒動が契機だったと言って差し支えないだろう。巨人人気に頼らざるを得なかった一部の球団経営陣が1リーグ化へ突っ走ったため、選手会と対立。結果的に12球団が維持され、経営収支改善のためにファンサービスなどに力を入れることになったからだ。

その後、半年続く騒動の端緒となったのは6月13日、日本経済新聞の1面トップに掲載されたスクープ記事だった。「近鉄バファローズとオリックスブルーウエーブが水面下で合併交渉中」との内容だった。

このニュースがスポーツ紙ではなく経済紙に載ったことからも分かるように、交渉は球団レベルではなく親会社レベルで進められており、その背後には「1リーグ制」という壮大な構想があった。当時、パ・リーグの各球団は観客動員が伸びず、赤字経営が常態化。巨人戦のテレビ放送権という“ドル箱”に頼らざるを得ない事情があったのだ。

ただ、1リーグ構想が発覚するのは後の話。近鉄はすぐに会見を開き、本社社長が交渉の事実をあっさりと認めた。寝耳に水の選手たちはシーズン真っ最中のグラウンド外の騒動に集中を削がれながらも、必死で戦った。そもそもなぜ「身売り」ではなく「合併」なのか判然とせず、ファンの反感も強かった。

そんな時、豊富な資金力を背景に近鉄の買収に名乗りを挙げたのが当時ライブドアの社長だった堀江貴文、通称「ホリエモン」だった。大阪ドームに直接乗り込むなどアピールすると、球団の存続を願うファンはヒーローに祭り上げた。

選手会とNPBの交渉決裂

ホリエモンの登場も意に介することなく、近鉄とオリックスは合併に突き進んだ。7月には「新球団は平成17年から3年間、大阪府と兵庫県を本拠地とする」などの案がオーナー会議で承認される。

この頃から「ダイエーとロッテも合併」「ロッテとヤクルトが交渉」など、もう一つの合併案が浮上した。巨人・渡邉オーナーと西武・堤オーナーが10球団による1リーグ構想を主導しているといううわさが出たのも同じ時期だ。

自分たちの知らないところで一方的に話が進む状況に、プロ野球選手会も黙ってはいなかった。「近鉄とオリックスの合併交渉1年間凍結」などの要求を突きつけ、12球団のチームカラーを織り込んだミサンガを作ってファンに配布。近鉄ナインは大阪ドーム前で自ら署名活動を開始した。

しかし、9月8日のオーナー会議で両球団の合併が正式に承認。シーズン中にも関わらず、古田選手会長(ヤクルト)ら選手会は合併凍結を求めてNPB(日本野球機構)と交渉したが決裂した。同18、19日、ついにストライキが決行された。

スト決行した2日間、選手会は独自にサイン会などのイベントを実施。世論は完全に「巨大権力に立ち向かう労働者」に大きく傾いていた。

楽天の新規参入で12球団維持

9月22、23日の団体交渉でNPBは12球団維持を約束し、事態はひとまず収拾したが、近鉄とオリックスの合併が覆ることはなかった。オリックスは合併球団名を「オリックス・バファローズ」と発表し、新監督に仰木彬氏を招へいした。

さらに新規参入を表明していた楽天が、11月のオーナー会議で承認され、12球団による2リーグ制は維持されることとなった。楽天は分配ドラフトでオリックス、近鉄の選手を獲得。近鉄の主力だった岩隈や磯部は合併球団のプロテクトを拒否し、楽天に入団した。