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秋山翔吾がレッズと3年契約 1869年創設MLB最古の球団の歴史を紹介

2020 1/7 11:00棗和貴
レッズへの移籍が決まった秋山翔吾
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ⒸYoshihiro KOIKE

秋山翔吾がレッズと3年契約、背番号も4に決定

シンシナティ・レッズは6日(日本時間7日)、西武からFAとなった秋山翔吾と3年総額2100万ドル(約22億7600万円)でサインしたと公式ツイッターで発表。背番号も「4」に決定した。

【レッズ公式ツイッター】契約書にサインする秋山翔吾

1964年、日本人初のメジャーリーガーである村上雅則氏がサンフランシスコ・ジャイアンツに入団して以来、さまざまな日本人が海を渡ったが、レッズは唯一日本人がプレーしたことがない球団だった。秋山は、そんな日本人“未開の地”でリーディングヒッターとして活躍が期待されている。

MLBのアナリストであるアンドリュー・シモンズ氏は、秋山の過去5年の出塁率を示し、MLBでも同様の活躍ができるか「興味がある」とツイートした。過去5年間の秋山の出塁率を見ると、最低が2016年の.385、最高が2015年の.419となっている。ちなみに2019年シーズン、レッズの1番打者の出塁率は.329だった。

レッズは今オフ、積極的にFA市場に参入している。昨年12月5日に強打の内野手であるマイク・ムスタカスと契約。同月18日には19年シーズンに14勝6敗、防御率3.98を記録した左腕ウェイド・マイリーを獲得した。これで先発ローテーションには、トレバー・バウアーやルイス・カスティーヨなど、オールスター級のメンバーが揃った。強固な投手陣に加え、近年では若手の野手も台頭しており、1990年から30年遠ざかっているワールドシリーズ制覇を目指す。

最古の球団、シンシナティ・レッズの歴史

秋山翔吾が加わるレッズは、MLB最古の球団である。前身であるシンシナティ・レッドストッキングスが世界初のプロ野球球団として誕生したのは1869年。日本で言うと明治2年の出来事であり、戊辰戦争の真っただ中だった。記念すべきプロ球団による最初のゲームは、その年の5月4日に行われた。対戦相手はシンシナティのアマチュアチームで、結果は45対9と大勝。その後、レッドストッキングスは全米を遠征し、57試合すべてに勝利を収めた。

レッドストッキングスを率いたのはハリーとジョージのライト兄弟(初の有人飛行を成功させたライト兄弟とは異なる)。兄のハリーは球団の創設者であり、弟のジョージはアメリカ野球殿堂の公式サイトによると「球界初のスーパースター」だった。1869年の遠征で、ジョージは驚異の打率.629を記録。1試合あたり約6安打を放っていたことになる。

ビッグレッドマシン〜レッズの黄金期〜

そんな最古の球団、レッズが最も輝いていた時代は1970年代中頃。黄金期のレッズは「レッドビッグマシン」と呼ばれ、他のチームから恐れられていた。75年と76年にはワールドシリーズを連覇。76年にいたっては、ナ・リーグ優勝シリーズでフィリーズを、ワールドシリーズでヤンキースをスイープしている。当時はまだ地区シリーズがない時代だったので、ポストシーズンで一度も負けることなく世界一を防衛したことになる。

チームの中心にいたのは、史上最高の捕手との呼び声も高いジョニー・ベンチだった。彼のセイバーメトリクスによる総合的な勝利貢献指数(rWAR)は合計75.2で、歴代の捕手のなかで最も高い数字である。

リーディングヒッターとしてチームを牽引したのは、ピート・ローズだった。代名詞は相手に飛びかかるようなヘッドスライディングで(実際、激突もしばしば)、常に全力を尽くす姿から“チャーリー・ハッスル”という愛称で親しまれた。通算安打数4256本はMLB最多。

ただ、ローズは選手としては立派だったが決して優等生ではなかった。1984年からはレッズの選手兼任監督に就任するも、1989年に野球賭博への関与が発覚し球界から永久追放。またイチローが日米通算でローズの安打数まで1本に迫った際には、「日本と大リーグを同等と考える人間はいない」と記録更新に懐疑的な発言をしていた。

イチローの“シーズン安打数”を抜いた男、秋山翔吾には、ぜひもう一度ピート・ローズの気に障るような活躍を期待したい。

※日付は現地時間