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「極私的高校野球名勝負5選」広島編、野球王国が残した激闘の記憶

2022 6/5 06:00糸井貢
イメージ画像,ⒸAsphalt STANKOVICH/Shutterstock.com
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山陽5x―4葛生(1990年選手権2回戦)

名勝負は決してセピア色にならない。どれだけ時間が経過しても、衝撃のシーン、心に残る場面は鮮烈なまま、記憶にとどまり続ける。「極私的 高校野球名勝負5選」の第1弾は広島県。高校野球界を常にリードする「野球王国」が残した激闘を振り返った。

「野球は9回2死から」とは、言い尽くされた格言だ。ただ、実際にドラマが起きる確率は、そう高くない。ゲームセットまで諦めずに戦うことを励ますような響きが、この言葉にはある。

山陽は1―4の3点ビハインドで、9回2死を迎えていた。走者はなし。初出場校が初戦の壁を破れずに聖地を後にする、ありきたりのシナリオはもう完成間近だった。伊藤が左前打で出塁し、川岡が四球を選び、鍵本の左前打で満塁になっても、まだ奇跡は遠かった。

スタンドが「異変」を感じたのは、続く新谷の打球が三塁へ転がった時だ。ボールがイレギュラーする内野安打で2点差、なおもフルベース。甲子園の観客は、山の天気のように気まぐれだ。「何か」を期待する雰囲気が圧となって、葛生ナインに襲いかかる。

網本の左前適時打で1点差になり、香山の右前打で同点、そしてサヨナラの走者がホームを駆け抜ける。瞬く間という表現が最も的確な大逆転劇。勢いに乗ったチームはベスト4まで勝ち上がった。「甲子園には魔物が棲んでいる」――。この格言を地でいく試合だった。

広島新庄1―1、0―4(再試合)桐生第一(2014年選抜2回戦)

名勝負を演出するのは、グラウンドのプレーだけではない。因縁、絆のような人間模様も、ドラマに欠かせない。

広島新庄のエース山岡は、延長15回を一人で投げ抜き、1―1で再試合になった桐生第一戦に前年夏の記憶を重ね合わせていた。県大会決勝で1年先輩の田口(現ヤクルト)が瀬戸内・山岡(現オリックス)と投げ合い、延長15回の0―0。2日後の再戦はたった1点に泣き、甲子園への道を断たれた。

その無念を晴らす形で、春夏通じ初めての聖地へ導いた左腕。夢舞台で、自身も「仕切り直し」を経験するとは、あまりにできたストーリーだった。

翌日の3月31日に、たった1試合だけセッティングされた大会史上5度目の再試合。崩れたのは前日に171球を投げた山岡ではなく、守備だった。エラーが失点に直結し、0―4。2勝目を逃したものの、大会屈指の左腕は足を引っ張ったバックも、2試合でわずか1得点と無援の打線も責めず、さわやかに散った。

高陽東7―6PL学園(1996年選手権3回戦)

昔はPL学園、今は大阪桐蔭の敗戦を「事件」と呼ぶ。ジャイアントキリングを演じたのが無名の県立校なら、それはもう、「歴史的出来事」と言い切っていいかもしれない。

初出場の高陽東は、1回戦で愛産大三河、2回戦で水戸短大付と、いずれも1点差で退けてきた。

3回戦の相手は、好投手・前川(後に近鉄など)を擁し、優勝候補の筆頭に挙げられるPL学園。初回に2点を先行するも、3回に追いつかれ、リードを広げた6回以降は、エース宗政が毎回、得点圏に走者を許した。2点リードで迎えた最終回も、1点差に迫られ、なおもピンチ。「逆転のPL」の幻影におびえながら、何とか耐えしのいだ。

初出場とはいえ、同年の選抜でベスト4。広島工を甲子園へ導いた名将、小川成海監督がタクトを振っていた。根拠と裏付け、説得力のある「金星」だった。

広島商1―0中京(1982年選手権準決勝)

「広商野球」の定義は、それほど難しくない。とんでもなく速い球を投げるエースや、超高校級のスラッガーはいなくても、小技や足を絡めた攻撃で少ないチャンスを生かし、投手を含めた堅いディフェンスでリードを守り抜く。高校野球にもパワーの波が押し寄せる今、言葉自体が「死語」になるのは無理もない。

同年の大会で、大会ナンバー1の呼び声が高かったのは中京・野中(後に中日など)だった。真っすぐでグイグイ押す右の本格派。2年生ながら、評判通りの投球を見せ、勝ち進んできた。

広島商は2回にスクイズで先取点。3回以降は1本のヒットさえ打てなかった。エース池本は丁寧にコーナーを突き、3、4回の2死満塁、9回2死1、3塁のピンチも、堅い守りで得点を許さなかった。

思えば、あの怪物・江川(作新学院、後に巨人)を沈めたのも、「広商野球」だった。決勝へ進んだ広島商は、畠山(後に南海など)、水野(後に巨人)を擁する池田の「やまびこ打線」に粉砕された。「広商野球」が最後に輝いたのが、中京戦だったのかもしれない。

広陵12―9天理(2017年選手権準決勝)

甲子園はいつの時代も、新しいヒーローを待ちわびている。広陵の中村(現広島)は準々決勝までに4本塁打を放ち、決勝進出を懸けた天理戦を迎えていた。

選手権の1大会個人最多本塁打は5本。清原(PL学園、後に西武など)がラストサマーの85年に残した記録は、もはや「聖域」となっていた。近いようで、どこまでも遠く感じる不滅のレコード。誰もが同じ認識を抱いていたからこそ、中村がいきなり初回にバックスクリーンへ2ランを放った時は、スタンドがどよめいた。

高校野球史に名前を刻んだ瞬間は、1点を追う5回の第3打席。内角へシュート回転したボールを渾身のスイングがつかまえる。左中間への一発。1試合2アーチの離れ業で、32年前にレジェンドが樹立した記録に並び、そして追い越した。

中村のバットで天理を撃破し、10年ぶりの決勝戦へ。しかし、4番は数字を伸ばせず、チームも花咲徳栄に4―14と大敗を喫し、準優勝に終わった。

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