「みんなで一丸となって熱い夏にしていこうな」
今月3日に『「一生懸命」の教え方』(日本実業出版社)を上梓した日大三の小倉全由監督。1年前はコロナ禍で甲子園大会はなくなってしまったなか、どうやって選手の気持ちを盛り上げ、試合に臨んだのか。日大三の監督就任1年目のことを振り返りながら話を進めていく。
1年前の7月中旬、東京都独自の大会が開幕する直前、小倉監督は3年生部員全員にこう宣言した。
「甲子園大会はなくなっちゃったけど、いい野球をやって3年間終わるようにしよう」
小倉監督が毎年目標に掲げているのが、「甲子園を狙うチームを作ること」である。
指導者によっては、「2年先の甲子園を目指して、3年計画でチームを作る」ということもあるが、小倉監督はそう考えてはいない。その理由について、こう話している。
「自分たちが監督から期待されていないということがわかると、冷ややかな空気がチームを蔓延してしまって、空中分解してしまうことがあるのです」
いざ大会に臨んだとしても、相手チームに先制された途端に、同点に追いつく場面すら作ることなく、あっさり敗れてしまう――。
上級生と下級生が一体となれないチームは、こうした負けパターンになりがちなのだという。
小倉監督が関東一で監督として実績を残し、日大三で指揮を執ることになった97年春、当時の三年生は甲子園を目指す実力が足りなかった。しかも年度替わりで新監督となったので、「自分たちの代では甲子園出場は難しいんじゃないか」、そう考える部員もいた。
それでも小倉監督は、部員全員を集めてこう話した。
「今年の夏は甲子園を目指すぞ。みんなで一丸となって熱い夏にしていこうな」
その場にいた三年生部員全員が、「えっ!?」と驚きの表情を見せた。そのようなことを話すとは、想像もしていなかったからだ。
けれども小倉監督の決意は揺らがない。「甲子園出場」という目標を全部員で共有していくことによって、上級生と下級生の間で熾烈なレギュラー争いが生まれ、チーム内が活性化されていった。
夏の西東京予選が始まると、小倉監督の考えは的中した。日大三高は2回戦から登場し、その後は順調に準々決勝まで勝ち進んだ。
「あと2つ勝てば甲子園に行ける」
けれども準決勝の堀越戦で4対6で敗戦。結局、堀越がこの年の西東京代表となった。
甲子園出場を果たせなかった直後、三年生全員悔しさで涙が込み上げてきた。同時に「やり切った」という達成感も味わうことができた。
当時のキャプテンから、
「短い間でしたが、小倉監督と一緒に野球ができてよかったです。本当にありがとうございました」
その言葉を聞いた小倉監督は、自然と目頭が熱くなっていくのを感じていた。