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「熱い気持ちで夏を迎えること」それが日大三高・小倉全由監督の野球である

2021 7/10 06:00小山宣宏
日大三・小倉全由監督,Ⓒ上野裕二
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Ⓒ上野裕二

「みんなで一丸となって熱い夏にしていこうな」

今月3日に『「一生懸命」の教え方』(日本実業出版社)を上梓した日大三の小倉全由監督。1年前はコロナ禍で甲子園大会はなくなってしまったなか、どうやって選手の気持ちを盛り上げ、試合に臨んだのか。日大三の監督就任1年目のことを振り返りながら話を進めていく。

1年前の7月中旬、東京都独自の大会が開幕する直前、小倉監督は3年生部員全員にこう宣言した。

「甲子園大会はなくなっちゃったけど、いい野球をやって3年間終わるようにしよう」

小倉監督が毎年目標に掲げているのが、「甲子園を狙うチームを作ること」である。

指導者によっては、「2年先の甲子園を目指して、3年計画でチームを作る」ということもあるが、小倉監督はそう考えてはいない。その理由について、こう話している。

「自分たちが監督から期待されていないということがわかると、冷ややかな空気がチームを蔓延してしまって、空中分解してしまうことがあるのです」

いざ大会に臨んだとしても、相手チームに先制された途端に、同点に追いつく場面すら作ることなく、あっさり敗れてしまう――。

上級生と下級生が一体となれないチームは、こうした負けパターンになりがちなのだという。

小倉監督が関東一で監督として実績を残し、日大三で指揮を執ることになった97年春、当時の三年生は甲子園を目指す実力が足りなかった。しかも年度替わりで新監督となったので、「自分たちの代では甲子園出場は難しいんじゃないか」、そう考える部員もいた。

それでも小倉監督は、部員全員を集めてこう話した。

「今年の夏は甲子園を目指すぞ。みんなで一丸となって熱い夏にしていこうな」

その場にいた三年生部員全員が、「えっ!?」と驚きの表情を見せた。そのようなことを話すとは、想像もしていなかったからだ。

けれども小倉監督の決意は揺らがない。「甲子園出場」という目標を全部員で共有していくことによって、上級生と下級生の間で熾烈なレギュラー争いが生まれ、チーム内が活性化されていった。

夏の西東京予選が始まると、小倉監督の考えは的中した。日大三高は2回戦から登場し、その後は順調に準々決勝まで勝ち進んだ。

「あと2つ勝てば甲子園に行ける」

けれども準決勝の堀越戦で4対6で敗戦。結局、堀越がこの年の西東京代表となった。

甲子園出場を果たせなかった直後、三年生全員悔しさで涙が込み上げてきた。同時に「やり切った」という達成感も味わうことができた。

当時のキャプテンから、

「短い間でしたが、小倉監督と一緒に野球ができてよかったです。本当にありがとうございました」

その言葉を聞いた小倉監督は、自然と目頭が熱くなっていくのを感じていた。

熱い気持ちを持つことの大切さを説く

1年前の東京独自の大会で、日大三は2回戦から登場。3回戦、4回戦と勝ち上がり、準々決勝へと駒を進めた。

しかし、佼成学園との試合で、2対2の同点から9回裏に相手打者にサヨナラヒットを打たれて敗戦。こうして短い夏は終わった。

試合後、合宿所に選手全員を集めると、三年生全員が目を真っ赤にして、声を震わせて泣いている。

涙を流して終わることができたということは、野球に真剣に取り組んでいた証拠である。目の前にいる彼らの表情は、いつもの年の三年生が野球を終えたときと同じ表情をしていたことに、小倉監督は安堵した。

「3年間、野球を続けて涙を流して終われるなんて、お前ら格好いいよ」

小倉監督はこう言うと、自身の目からこぼれ落ちる涙を止めることができなかった。

人生にはうまくいかないことがある。夢にまで見た甲子園を、戦わずして諦めなくてはならなくなった三年生部員たち。言葉では言い表せないほどの無念さを、彼らは感じていたはずだ。

それでも熱い気持ちで高校野球と向き合うことによって、悔いを残さず次のステージへ進むことができる――。

そのおぜん立てをしてあげるのが、指導者が果たすべき役割だと、小倉監督自身はそう痛感していた。

日大三高ナイン

Ⓒ上野裕二


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