“末綱 聡子”選手の生い立ちを紹介
1981年1月30日に大分県大分市で生まれた、末綱 聡子(すえつな さとこ)選手。東大分小学校へ入学し運動神経もよく活発だった末綱 選手は、小学2年生からバドミントンを習い始める。地元にあった「東大分ジュニアクラブ」で練習を重ね、城東中学校へと進学。やがて昭和女子高等学校へと進んだ高校時代に、バドミントンの才能が花開く。
1998年に開催された「高校選抜大会」と「高校総体」のダブルスで優勝。舞台は世界へと羽ばたき「世界ジュニア選手権」と「アジアジュニア選手権」でベスト8に進む活躍を見せた。
“前田 美順”選手の生い立ちを紹介
1985年10月14日に鹿児島で生まれた、前田 美順(まえだ みゆき)選手。バドミントンとの出会いは小学校1年生のとき。姉が始めたことがきっかけで、自身も興味を持ちにバドミントンを始める。国分市立国分中学校(現在は霧島市立国分中学校)に入学してもバドミントンを続ける。中学校卒業後、熊本中央高等学校に進学。2003年に開催された「高校選抜大会」のダブルスで優勝。同年の「高校総体」ではベスト8に進んだ。
先輩“末綱 聡子選手”と後輩“前田 美順選手”の出会い
末綱選手は高校を卒業した後、1999年にスポーツ活動で有名なNEC SKYチームがある九州日本電気に入社。ダブルスでバドミントンを続けていくが、“スエマエ”ペアを組むまでは「ランキングサーキット」での4位が最高の成績だった。一方の前田選手は高校を卒業後の2004年に、ルネサスSKYチームのある九州日本電気に入社。チーム名こそ変わっているが、同じ九州日本電気のバドミントンチームに入社したことでペアを組むこととなる。
北京オリンピックで活躍し人気となった“スエマエ”ペア
2004年に同じチームに所属したことからペアを組むこととなった二人。同年に開催された「ランキングサーキット」で優勝、「全日本社会人選手権大会」ではベスト8となった。その後も努力と活躍を続け、2008年に開催された北京オリンピックでダブルスの代表選手に選出。メダルには届かなかったがバドミントン界で史上初のベスト4まで進出、前回大会の金メダリストで世界ランク1位のペアに勝利し、一躍有名になり“スエマエ”ペアとして人気を博した。
世界ランク2位となった“スエマエ”ペアの功績
北京オリンピックで活躍し人気となった“スエマエ”ペアは、その後ライバルだった“オグシオ”ペアを抜いて世界ランク6位につけ、最終的には2010年に世界ランク2位まで駆け上った。当時“オグシオ”ペアはマスメディアに取り上げられるほど大人気。一方の“スエマエ”ペアも数々の活躍によって注目をあびる。二組のペアのおかげで女子バドミントンは脚光をあびるスポーツとなり、支援体制も整いその後の“タカマツ”ペアの金メダリストへとつながる原動力となった。
まとめ
“スエマエ”ペアの生い立ちや功績を紹介した。2013年に末綱 選手が引退したため“スエマエ”ペアを解消。前田 選手は現役を続けたが、“スエマエ”ペアとしての9年間の歴史に幕を下ろした。彼女たちと“オグシオ”ペアのおかげといっても過言ではなく、女子バドミントン界は今最高の盛り上がりを見せている。