全日本選手権で史上3位の年少優勝
体重無差別で柔道日本一を争う全日本選手権(4月29日、東京・日本武道館)で、斉藤立(国士舘大3年)が初優勝を飾った。20歳1カ月での日本一は、石井慧(19歳4カ月)、山下泰裕(19歳10カ月)に次ぐ史上3位の年少記録となった。
父は1984年ロサンゼルス、88年ソウル両五輪を2連覇した斉藤仁氏(故人)。親子二代の日本一は大会史上初だ。斉藤は世界選手権(10月、タシケント)の男子100キロ超級の代表入りも果たし、その結果次第では、2024年パリ五輪へと大きく前進することになる。
「あの大きな体をコントロールできる選手は、最重量級で見たことがない。類まれな身体能力だと思う」
全日本柔道連盟の金野潤強化委員長は、待ちわびた新星の誕生に期待感を隠さない。191センチの上背と160キロの目方を生かし前に出る大外刈りと大内刈り、相手をひと息にはね上げる内股は水際立ち、いずれも完成度が高いフィニッシュブローだ。
「立って投げられるのが大きい。日頃の指導でも、こちらの教える内容を理解している。柔道の才能という点では、斉藤先生のDNAを引き継いでいる」とは、最重量級の五輪金メダリストにして男子日本代表の鈴木桂治監督である。
雄偉の一言に尽きる体は、ひと昔前なら王者となるにふさわしい器といえた。昨今の最重量級はしかし、最適とされる規格が大きく変わっている。世界の主流は「重さ」ではなく「速さ」。100キロ級から鞍替えする選手が増え、スリム化と動きの高速化が進んでいる。
「弁慶の怪力と牛若丸の機敏」が最重量級のトレンド
トレンドを変える潮目をもたらしたのは、実は日本勢であり、鈴木監督その人でもある。04年アテネ五輪の100キロ超級を制した鈴木監督は、当時、100キロ級を主戦場としていた。最重量級では稀有ともいえる足技を使いこなし、各地の巨漢を機敏な動きで転がしていった。
さらに大きな変化を加えたのが、07年の世界王者となったテディ・リネール(フランス)だった。2メートルを超える上背がありながら、体重は120キロ台と余分な肉がない。少年時代にバスケットボールで培ったフットワークは、ダンプカーの中でただ1台、F1が疾駆する奇観をもたらした。
弁慶の怪力と牛若丸の機敏を併せ持ち、畳の上を縦横に飛び回る無敵の存在となり、100キロ超級では世界選手権8連覇。動けぬ者は最重量級にあらず-と最重量級の常識も覆した。
ここ数年の世界の先頭集団も、その流れを引き継いでいる。19年の世界選手権、21年夏の東京五輪を制したルカシュ・クルパレク(チェコ)は、16年リオデジャネイロ五輪100キロ級王者だ。約2メートルの上背で、立ち技から寝技へと流れるように移行する柔軟な体さばきが目を引く。
東京五輪銀メダルのグラム・ツツシビリ(ジョージア)も100キロ級からの転向組。彼らの特色は、緩みのないスピード感あふれる動きを長時間、持続できることにある。軽やかな足の運びはそのままに、100キロ級時代の減量苦から解放された分、スタミナに不安がない。
160キロでも小回りの利く斉藤立
斉藤の体は、最重量級のトレンドから大きく外れている。ただし、それが弱点にはなっていない。昨年10月のグランドスラム(GS)バクー大会では、斉藤の巨体は明らかに動きで他を圧していた。小回りの利く足の運び、軟らかい上体のさばき、繊細な組み手は卓出し、相手に先んじた立ち回りで優位に試合を運んでいた。
「160キロ」と「小回り、繊細」をつなぐ橋は、どこにあるのか。答えの一つに、斉藤は国士舘大学の陸上部で重ねたトレーニングを挙げている。柔道に通じる動作を取り入れた全身運動により、巨体をコントロールする回路を養った。今年2月から本格的に始め、多いときは週4日、陸上部のトラックに足を運んだといい、「体重は変わっていないのに、体形が引き締まったと言われます」
もう一つの答えは、争えぬ「血」だ。父の仁氏は現役時代、こと技に関しては神経質な選手として知られた。得意技の体落としは、両足をどこに置くか畳の上に印をつけ、打ち込みの繰り返しで体に覚え込ませた。
組み手の位置、体の角度もしかり。ミリ単位の妥協も許さず技の精度を高めたのは語り草だ。幼少時から父に鍛えられた立の技にも粗さがない。受け継いだのは恵まれた体だけではなかった、ということだ。
東京五輪代表と前年世界王者を退け、いざ世界選手権へ
今回の全日本選手権、準決勝では10分近い攻防で東京五輪5位の原沢久喜(長府工産)の技をほぼ封じ、決勝では前年世界王者の影浦心(日本中央競馬会)を競り合いの末に退けた。4月初めの全日本選抜体重別選手権では、影浦に一本勝ち。再戦ではさすがに対策を講じられ「動揺した」というものの、勝負勘に秀でた鼻が相手の弱みを嗅ぎとっていた。
時間がたつにつれ「相手の嫌がることが見えてきた」と、左右の前襟をつかむ変則の組み手で影浦の動きに制約を加え、相手が息切れした14分過ぎに全体重を預けての足車で技あり。五輪代表と世界王者を相手に、野球の零封を思わせる完勝は新旧交代を印象づけた。
特に影浦からの2連勝は千金の重みを持つ。馬力もある。燃料もある。何よりも、体格にあぐらをかかず、逸品の組み手と相手をねじ伏せる威力十分の立ち技がある。日本の最重量級の勢力図を塗り替えた斉藤が、パリ五輪に向けた軸になるのは疑いない。
世界ではまだ無印に近い存在で、世界各地の猛者が集う世界選手権が、未完の器をさらに磨く砥石になるはずだ。世界のスピードとパワーに、斉藤がどう応じるのか。自身の秘めた力を知ると同時に、世界の怖さも知ることになろう。
勝ってから知る「全日本王者の重み」
もう一つの敵は、その大きな器がはらむ故障のリスクだ。とりわけ、巨体を支える足腰のけがが怖い。昨秋の全日本学生体重別団体優勝大会では、小柄な選手に懐に飛び込まれ、奇襲技を見舞われて左膝を負傷した。大学に入り、腰を痛めた経験もある。可能性と危険性は、紙の裏表といえる。
日本の男子最重量級は、2008年北京五輪で石井慧が勝ったのを最後に頂点から遠ざかっている。「史上最強の布陣」と呼ばれ、東京五輪で5階級を制した井上康生前監督の代表チームでさえ、100キロ超級ではメダルに届かず、消化不良の感を見る側に与えたことは否めない。
鈴木体制が掲げるのも、もちろん最重量級の復権だ。2015年1月に病で世を去った斉藤仁氏は、鈴木監督の恩師。その“最高傑作”ともいえる立を母校の国士舘大総監督として、男子日本代表監督として預かる重責を誰よりも感じている。
「2度、3度と勝ち続けることは本当に難しい。全日本王者の重みを知るのは勝った後だ」。全日本選手権を4度制した鈴木監督は、そう語ったことがある。常勝と勤続の両立は、その立場に置かれた者だけが味わう苦しみだという。
そんな周囲の期待と不安を知ってか知らずか、20歳の大器はこんな所感を漏らしている。「自分には厳しい父だったので、(全日本選手権の優勝を)褒めてはくれないと思う。自分はこれからの選手なので」。斉藤がゲームチェンジャーになるか否かは、日本柔道界の浮沈にかかわる大事でもある。
《ライタープロフィール》
森田景史(もりた・けいじ)1993年に産経新聞入社。2002年から大阪本社、東京本社の運動部記者として、柔道やレスリング、日本オリンピック委員会(JOC)などを担当。五輪は2008年北京、12年ロンドンの2大会を取材。東京五輪・パラリンピックは招致活動と開催準備を取材した。2014年7月から論説委員を兼務。
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