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松岡修造が「世界」を追いつめた日……ウィンブルドンの記憶

松岡修造Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

甘いルックスにエリート家系…颯爽と出現したスター候補

6月29日開幕予定だったテニスの四大大会のひとつで最古の歴史を持つ「ウィンブルドン」が新型コロナウイルス感染拡大のため中止となった。丹念に育成した芝を傷めないように、年に一度、ウィンブルドンのためだけに使用されるセンターコートは、テニスプレーヤーなら誰もが憧れる「聖地」。2度の世界大戦以外では初めての中止となり、選手はもちろん、世界中のテニスファンがショックを受けただろう。

近年では錦織圭や大坂なおみの活躍で日本テニス界は活況だが、1980年代までは長らく冬の時代が続いた。

そんな時、颯爽と現れたのが松岡修造だった。1988年に世界ランキング100位内に入り、日本のトッププレーヤーの仲間入り。身長188センチのスラリとした体躯、甘いルックス、父・功氏は東宝の会長というエリート一家に育ったバックボーンも話題になり、瞬く間にスター候補として注目された。

1992年6月のクイーンズ・クラブ選手権では、準決勝で当時世界2位のステファン・エドバーグを破る大金星。決勝では敗れて準優勝だったが、世界ランクは自己最高の46位にまで上昇した。

期待されていなかった1995年ウィンブルドン

しかし、ケガもあって四大大会では結果を残せない。出場しても1回戦や2回戦敗退を繰り返し、日本人にとっては高い壁であることを痛感させられた。同時に松岡の甘いルックスが、どこか「ひ弱さ」を感じさせたことも確かだった。

1994年に伊達公子が全豪オープンでベスト4、全米オープンでベスト8入りを果たし、世界ランキングトップ10に躍進。翌1995年のウィンブルドンは日本中の注目が女子に集中していた。だが、松岡だけは自分を信じていた。

1回戦と3回戦はフルセットの末に粘り勝ちし、4回戦ではマイケル・ジョイスにストレート勝ち。日本人男子選手として1933年の佐藤次郎以来、実に62年ぶりのベスト8進出を決めた。勝った瞬間、コート上で大喜びし、大の字になって天を仰いだシーンは有名だ。

しかし、松岡はまだ満足していなかった。続く準々決勝の相手は当時世界ランク2位のピート・サンプラス。引退までにウィンブルドンを7度も制したアメリカテニス界の英雄だ。

サンプラスを追いつめた準々決勝の気迫

強敵を相手に松岡は堂々の戦いぶりを見せる。第1セット、両者一歩も譲らず6-6で迎えた第13ゲーム。静寂の中、ポイントが入るたびにスタンドから大歓声が沸き起こり、日本のファンは固唾をのんでNHKの生中継を見守った。

互角の戦いの末に迎えたセットポイント。松岡のサーブをサンプラスが返せず、見事に第1セットを先取した。その瞬間、4回戦では体いっぱいに喜びを表現した松岡は、厳しい表情を崩さないままサンプラスを睨みつけ、右拳を小さく握りしめた。本気で勝利を狙う松岡に、かつての「ひ弱さ」は微塵も感じられなかった。

第2セット以降は3セット連続で失い、大番狂わせはならなかった。しかし、聖地でサンプラスを追いつめた気迫は、世界中のファンに松岡修造の名前をインプットさせただろう。

引退後はテニスの指導をしながら、キャスターやタレントとしても活躍している。名言集やくどいほどの熱いキャラで人気が上昇するのと反比例するように現役時代の記憶は風化していくが、かつての雄姿は日本のスポーツ史に燦然と輝いている。

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