ウィンブルドン・ジュニアで日本男子初優勝
最後は鮮やかにバックハンドのダウンザラインを決め、歴史的な勝利をたぐり寄せた。テニスのウィンブルドン・ジュニア選手権の男子シングルス決勝で、16歳のホープ望月慎太郎(TEAM YUKA)がカルロス・ヒメノバレロ(スペイン)に6-3、6-2のストレートで快勝。四大大会のジュニアで日本男子として史上初めてシングルス制覇の快挙を達成した。
日本の男女を通じては1969年全仏、ウィンブルドンを連覇した沢松(現姓吉田)和子以来、史上2人目のジュニア四大大会シングルスを制した選手となった。
昨年末から121人ごぼう抜き
父親の影響で3歳からテニスを始め、錦織圭(日清食品)と同様に中学1年から当時日本テニス協会の名誉会長だった盛田正明氏(現名誉顧問)がジュニア選手を支援する「盛田ファンド」の奨学生として米フロリダ州のIMGアカデミーで腕を磨いた門下生。
6月の全仏オープン・ジュニアでも4強入りし「錦織2世」と期待される逸材は、現行制度で日本勢初のジュニアの世界ランキング1位にも上り詰めた。昨年末にジュニア世界122位だった「テニスの申し子」がわずか半年で120人以上をごぼう抜きした。
錦織も一目置く技巧派
175センチ、64キロ。「今までの日本人にいないタイプ」と錦織も一目置く存在だ。決勝はセンターコートに次いで大きい1番コート。大観衆の前でも「緊張せず、自分のプレーに集中できた」と記者会見で振り返った通り「大好き」と公言する得意のネットプレーがさえた。
回転の効いたサーブで崩し、相手の約6倍となる23回ネットに出て74%成功。攻撃的なスタイルでウィナー(決定打)も27本と圧倒し、バックハンド、フォアハンド、絶妙なドロップショット、ボレーと多彩なショットを織り交ぜて観衆を沸かせた。
日頃は「とてもシャイ」と自己評価する一方で大舞台に強く、柔らかなラケットさばきや優れた戦術眼は錦織に重なるところがある。ジュニア時代には錦織も達成できなかったシングルスでのグランドスラム優勝と世界1位も堂々と手にした。
歴代覇者に憧れのフェデラーも
歴代のウィンブルドン・ジュニア男子シングルス優勝者には、そうそうたる顔触れが並ぶ。ビョルン・ボルグ(スウェーデン)、ステファン・エドベリ(スウェーデン)、そして望月が憧れの存在というロジャー・フェデラー(スイス)。最近では元世界3位のグリゴル・ディミトロフ(ブルガリア)やガエル・モンフィス(フランス)がいるが、プロになって伸び悩む選手も少なくない。
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川崎市出身の望月は錦織と同じIMGアカデミーを拠点に成長を遂げ、今年の全仏とウィンブルドンでは錦織の指名を受けて練習もした。公式サイトによると「錦織先輩からアカデミーでたくさんアドバイスを受けている」と先輩からの貴重な助言も成長の肥やしにしている。6月に英国で行われた前哨戦で優勝し、慣れない芝コートで戦う適応力も並外れたものがある。
盛田正明氏が私財を投入
ソニー創業者の1人である盛田昭夫氏の末弟で、ソニー生命保険の社長も務めた盛田正明氏が私財を投じて日本の若手を育成するために立ち上げたのが「盛田ファンド」。ジュニア選手は国内の厳しい選抜を経て、年間数百万円とも言われる留学費用の援助を受ける。ウィンブルドン・ジュニア選手権初優勝の舞台には92歳の盛田氏もいた。
海外のメディアもその独特の育成環境に注目する。錦織は「盛田ファンド」で育った先輩に当たるだけに「大いに祝福したい。〝盛田ビジョン〟の成功を見ることができてうれしい!」と望月の快挙を英語でツイートした。
次は全米オープン
ウィンブルドンの優勝杯を掲げ、ジュニア世界1位のランキングが発表されると、望月はツイッターで「Wow(ワオ)!」と手放しで喜んだ。
次戦の目標は9月開幕の全米オープンのジュニア部門。ネットプレーを多用する攻撃的なスタイルでどこまで飛躍していくか。
175センチの身長はまだ伸びている真っ最中。最近は体重を増やすためバナナやチョコレートなどの間食を必ずとり、約半年間で3キロ増量にも成功したという。渡米当時は英語が話せなかったが、ウィンブルドンでも流ちょうな英語で受け答え。見る人を楽しませる度胸満点のプレーと細身の体には無限の可能性が詰まっている。
今後はプロ転向が予想され、将来的には五輪での活躍も期待される。錦織に次ぐ日本テニス界期待の星が、いよいよ世界への扉を開いた。