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日本競泳界のレジェンド 北島康介のライバルたち

2017 4/12 21:06
水泳
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出典 katacarix / Shutterstock.com

現在はどんどん若い選手たちが頭角を現してきている日本競泳界。その競泳界でレジェンドを一人挙げるとすると、北島康介さんではないだろうか。 どんな競技においても、ライバルと言える存在があるからこそ力を発揮し、結果を出すことができる。 レジェンド北島さんのライバルであった2人を紹介する。

日本競泳界のレジェンド 北島康介

近年の日本競泳界におけるレジェンドといえば、平泳ぎの北島康介である。 2004年のアテネオリンピックと、2008年の北京オリンピックの連続2大会で、100mと200m平泳ぎで金メダルを獲得。また、それぞれ「チョー気持ちいい」や「何も言えねー」など試合後の名台詞が流行語になった。
2012年のロンドンオリンピック。それまで競泳界をけん引してきた北島康介にはまだメダルがなかった。そして迎えた4×100m×メドレーリレー。レース前にリレーメンバー入江陵介選手、松田丈志選手、藤井拓郎選手3人で「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかないぞ」と話していたという。こんな先輩思いの後輩たち3人と共に、銀メダルを獲っている。
2016年のリオオリンピックの代表を逃したことで、現役を引退した。

メダル争いのライバル ブレンダン・ハンセン選手

北島さんのライバルといえば、まずはアメリカのブレンダン・ハンセンさんだ。2004年のアテネオリンピック直前のアメリカ代表選考会で 北島さんの保持していた100mと200mの平泳ぎの世界記録を塗り替え、出場を決めた。
しかし、至るオリンピック本番、2種目とも北島さんが金メダルを獲り、ハンセンさんは銀メダルと銅メダルに終わった。 4×100m×メドレーリレーでは、2004年のアテネオリンピックから北京、ロンドンと3大会連続で金メダルを獲り、ロンドンオリンピックでは北島さんをかわし銅メダルを獲得したが、大会後に引退を表明した。

ハンセンさんへの半端じゃない闘争心

2004年アテネオリンピックでは、「金メダル獲得」はイコール「打倒ハンセン」という図式が成り立っていた。ハンセンさんとは2001年頃からずっとライバル関係になっていたが、オリンピック直前にハンセンさんが世界記録を更新したことが、北島さんの闘争心により火をつけた。
それは、水中だけでなく、プールの外でもそうだった。練習場で会っても決して声をかけることはせず、じっと静かに見つめて観察をする。アテネオリンピック以降もライバル関係は続いたが、話をすることは一切なかったそうだ。無言の威圧をかけ続けるなど、金メダル争いは水中だけではなかったようだ。

最大のライバル アレクサンダー・ダーレオーエン選手

北島さんのもう1人のライバルといえば、2008年の欧州水泳選手権の金メダリストで、男子の長水路での国際大会で初めてノルウェーにメダルをもたらしたアレクサンダー・ダーレオーエン選手だ。1m90cmの長身を生かした力強い泳ぎの選手だった。
2008年の北京オリンピックでは、100m平泳ぎで北島さんに次いで銀メダルを獲った。これは、ノルウェーに初のオリンピック競泳競技のメダルをもたらした快挙だった。2011年の世界水泳選手権の100m平泳ぎでは58秒71で優勝して金メダルを獲った。 2012年のロンドンオリンピックでも、北島さんとの戦いが期待されていたが、大会のわずか3ヶ月前に合宿中のホテルの浴室で心臓麻痺で急逝された。26歳の若さだった。

早すぎたライバルの死に 涙が止まらない

ロンドン大会で北島さんの最大のライバルになるはずだったのが、ダーレオーエン選手だった。当時の100m平泳ぎで、北島さんと彼の2人だけが、高速水着の使用なしで1分59秒を切った選手だった。 2008年の北京オリンピックの100m平泳ぎでは、北島さんが金メダル、ダーレオーエン選手は銀メダル。2011年の上海世界選手権では、ダーレオーエン選手が優勝、北島さんは4位となり、ロンドンオリンピックでの対決が期待されていた。
そんな矢先のライバルの突然の死に、北島さんは、涙が止まらない、心に大きな穴が空いたと、ツイッターでつぶやいている。お互いを認め、高めあった最高のライバルだった。

まとめ

日本競泳界のレジェンド、北島康介さんとそのライバル2人を紹介したが、いかがだっただろうか。 それぞれライバルといっても、思いや態度などがまったく違う2人だが、北島さんの闘争心やモチベーションをアップさせ、好成績につなげたことは間違いないだろう。