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オリンピック競泳で輝かしい記録を残した日本女子選手ベスト3

2020 6/23 06:00SPAIA編集部
柴田亜衣,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

輝かしい記録を持つ日本人女子

水泳日本人女子は、歴代オリンピックの競泳においてこれまで数々の功績と記録を残してきた。メダリストの数は実に19人。その中でも特に輝かしい記録を持つのは、日本女子で初の金メダリストとなった前畑秀子、弱冠14歳で世界の頂点に立った岩崎恭子、日本女子で初めて自由形で優勝した柴田亜衣の3人だろう。



日本女子初の金メダリスト・前畑秀子

前畑秀子(結婚後の姓は兵藤)は、1914年に和歌山県で生まれた。幼い頃から自然の中で遊び、地元の紀ノ川で泳ぎを身につける。小学校で水泳部に入部するものの、当時は学校にプールがなく、この紀ノ川の中に杭を打って作った天然のプールで練習をした。

このとき平泳ぎと出会った前畑は、5年生の頃には11歳で50m平泳ぎの日本学童新記録を樹立。橋本尋常高等小学校高等科に進むと、13歳で早くも100m平泳ぎの日本新記録を更新するなど、みるみるうちに水泳の才能を開花させた。

そして、15歳のときに名古屋市の椙山高等女学校へ編入。日本で初めて室内プールを完備した同校で、より本格的に水泳に取り組んだ。しかし、その後前畑は立て続けに両親を亡くすこととなり、一時は悲しみのあまり水泳を離れてしまう。

周囲の人々の支えもあって両親の死を乗り越えた前畑は、18歳のとき1932年のロサンゼルスオリンピックに出場。女子200m平泳ぎで見事銀メダルを獲得する。このときの記録は日本記録を6秒も縮め、1位とは0.1秒の僅差であった。

前畑は力を出し切って勝ち取った銀メダルに満足していた。しかし、この前畑の快挙を当時多くの人々は「悔しい、無念だ」と評価し、次回ベルリンでの雪辱を期待されることになる。

周囲からの大きな期待に応える形で1936年のベルリンオリンピックにも出場した前畑は、見事女子200m平泳ぎで競泳日本女子初となる金メダルを獲得した。NHK河西三省アナウンサーがラジオ実況中継放送で連呼した「前畑がんばれ!」「勝った!勝った!前畑勝った!」に日本国中は歓喜と興奮に包まれた。

現役引退後も水泳と関わり続け、名古屋市瑞穂プールで全国初の水泳教室を始めるなど、後進の指導に努めた。国際水泳連盟の殿堂入りを果たすなど、数多くの功績を残し続けた前畑は、1995年に惜しまれつつ亡くなった。

14歳で世界の頂点に立った岩崎恭子

岩崎恭子は、1978年に静岡県で生まれた。5歳から水泳を始めた岩崎は、競技者として常に先を行く姉を追いかけ、数々の競技大会で頭角を現すようになる。バルセロナオリンピック選考会を兼ねた日本選手権で残り1枠を姉と争い、周囲の予想に反して出場権を獲得する。

岩崎が世間を驚かせたのは、1992年のバルセロナオリンピックにおいて、女子200m平泳ぎで競泳史上最年少となる14歳で金メダルを獲得したことだった。記録は2分26秒65である。

当時、世界ランクは14位、日本記録さえ破ることができておらず、目標は決勝進出だったという岩崎に大きな期待は寄せられていなかった。当時のオリンピック記録を塗り替えるタイムでの金メダル獲得という輝かしい快挙に日本中が湧いた。

金メダルを獲得した岩崎が言った「今まで生きてきた中で一番幸せです」という言葉は、今もなお名言として広く知られている。岩崎は2大会連続で4年後のアトランタオリンピックにも出場したが、残念ながらにはメダル獲得には至らず、20歳のときに競技を引退している。

引退後は、アメリカへ児童の指導方法を学ぶために留学。水泳、着衣泳のレッスンやイベント出演などを通じ、水泳の楽しさを伝える活動を行っている。

日本人で初めて自由形を制した柴田亜衣

1982年に福岡県で生まれた柴田亜衣。3歳からスイミングスクールに通って泳ぎを磨き続けたものの、高校までは無名の選手であった。

大学でも競技を続けたいと考えていた柴田に、のちに恩師となる、鹿屋体育大学教授で水泳部監督だった田中孝夫氏はコーチを紹介し、鹿屋体育大学への進学の条件として「インターハイ決勝進出」を提示する。柴田は5位入賞で条件をクリアし、2001年に希望通り鹿屋体育大学に進んだ。

めきめきと頭角を現し始めたのは鹿屋体育大学に進学してからで、2002年にはパンパシフィック・横浜大会に出場。2003年の日本選手権で好成績を残した柴田は、初めて世界選手権に出場する。そして2004年、日本選手権で派遣標準記録をクリアし、見事アテネオリンピックへの出場を決めた。

アテネオリンピックにおいて、柴田は女子800m自由形で金メダルを獲得する快挙を成し遂げて人々を驚かせた。記録は8分24秒54である。オリンピックで女子自由形の金メダル獲得は日本人初であった。4年後の北京オリンピックにも400m自由形、800m自由形の2種目で出場したが、残念ながらどちらも予選敗退となり、引退を発表した。

引退後は、一人でも多くの水嫌いの子供たちをなくすために、オリジナルの指導内容を盛り込んだプロジェクトを全国で展開。他にも様々な活動で、幅広くスポーツの振興・普及などに貢献している。

日本のお家芸ともいわれ、オリンピックでも花形競技としてこれまで数々の感動とスター選手を輩出してきた女子水泳界。新たなヒロインたちが登場するであろう、これからの歴史にも大きな期待が寄せられる。

競泳日本女子歴代メダリスト

【1932年 ロサンゼルス大会】
前畑 秀子  200m平泳ぎ 銀

【1936年 ベルリン大会】
前畑 秀子  200m平泳ぎ 金

【1960年 ローマ大会】
田中 聰子  100m背泳ぎ 銅

【1972年 ミュンヘン大会】
青木 まゆみ 100mバタフライ 金

【1992年 バルセロナ大会】
岩崎 恭子  200m平泳ぎ 金

【2000年 シドニー大会】
中村 真衣  100m背泳ぎ 銀、 4×100mメドレーリレー 銅
田島 寧子  400m個人メドレー 銀
中尾 美樹  200m背泳ぎ 銅
田中 雅美  4×100mメドレーリレー 銅
大西 順子  4×100mメドレーリレー 銅
源  純夏  4×100mメドレーリレー 銅

【2004年 アテネ大会】
柴田 亜衣  800m自由形 金
中村 礼子  200m背泳ぎ 銅
中西 悠子  200mバタフライ 銅

【2008年 北京大会】
中村 礼子  200m背泳ぎ 銅

【2012年 ロンドン大会】
鈴木 聡美  200m平泳ぎ 銀、 100m平泳ぎ 銅、 4×100mメドレーリレー 銅
寺川 綾   200m背泳ぎ 銅。 4×100mメドレーリレー 銅
星 奈津美  200mバタフライ 銅
加藤 ゆか  4×100mメドレーリレー 銅
上田 春佳  4×100mメドレーリレー 銅

【2016年 リオデジャネイロ大会】
金藤 理絵  200m平泳ぎ 金
星 奈津美  200mバタフライ 銅

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