若隆景の長兄は幕下若隆元、次兄は幕内若元春
若隆景の優勝で盛り上がった春場所だが、若隆景を語る際について回るのが三兄弟の三男であるということだ。兄弟力士はそれなりに見られるが、三兄弟そろって力士となるとかなりまれなケース。長男の幕下若隆元、次男の幕内若元春、三男の若隆景は大波三兄弟(大波は本名)とも呼ばれる。
兄弟関取となると戦後15組いる。その中でも三兄弟が力士で全員関取になった例は井筒三兄弟として知られる鶴嶺山・逆鉾・寺尾の三兄弟しかいない。だが、この三兄弟も三人同時関取を成し得ることはできなかった。
大波三兄弟も長男の若隆元はまだ関取経験がなく、次男の若元春と三男の若隆景で兄弟関取は達成したが、2例目の三兄弟関取や史上初の三兄弟同時関取は成し得ていない。
兄弟関取として最もよく知られるのは三代目若乃花と貴乃花の若貴兄弟だろう。番付も揃って横綱。しかも、兄弟同時関取としては最も長い在位61場所。約10年にわたりこの兄弟は同時に関取として土俵に上がり続けた。さらに若貴兄弟の父・元大関貴ノ花は、兄が元横綱初代若乃花だ。父もまた兄弟関取だった。
現役では幕内翔猿と十両英乃海が兄弟関取。そして幕内千代丸の弟は最近引退してしまった千代鳳だ。このようにどの時代にも兄弟関取がいる。
井筒三兄弟も「同時関取」は果たせず
戦後初の兄弟関取は先述した初代若乃花と貴ノ花の兄弟だ。この両者には22歳の差があり、関係性も師弟の関係であり同時に現役だった期間はなかった。兄弟が切磋琢磨して番付を駆け上がったというわけではない。
戦後初の兄弟同時関取となると昭和53年5月場所の常の山・鷲羽山だ。入門は兄の常の山が先だったが弟の鷲羽山が番付を追い越し、後から常の山が十両に昇進し晴れて戦後初の兄弟関取となった。だが、常の山は十両在位2場所。この2場所だけが常の山・鷲羽山兄弟の同時関取の場所となった。
続いて出てきたのが井筒三兄弟だ。父であり師匠でもある元関脇鶴ヶ嶺の相撲一家に育った三兄弟は年の順に入門し、昭和56年7月に長男鶴嶺山と次男逆鉾が同時に新十両。戦後2組目の兄弟同時関取となった。
だが兄の鶴嶺山は1場所で幕下に陥落。その後十両に戻る場所もあったが、昭和58年11月場所を最後に十両に戻ることは出来なかった。
それと入れ替わるようにして十両に上がったのは三男寺尾だ。寺尾は昭和59年7月場所で十両に昇進すると、そこから50場所、次男逆鉾と同時関取として土俵に上がり続けた。これは先述した若貴兄弟に抜かれるまでは最長記録であった。
井筒三兄弟・若貴兄弟が活躍した時代に幕内の土俵を盛り上げていた兄弟には、小城ノ花・小城錦兄弟もいる。こちらもまた父であり師匠でもある元関脇小城ノ花という相撲一家の育ちだ。小城ノ花・小城錦兄弟も41場所同時関取として土俵に上がり続けた。
史上初の快挙は若隆元次第?
血筋だけで成し遂げられる記録ではないだろうが、井筒三兄弟、小城ノ花・小城錦兄弟、若貴兄弟そろって父が元関取だ。この観点で見れば大波三兄弟も父は元幕下力士だが、祖父が元小結若葉山。こちらも相撲一家の育ちだ。
若隆景が初優勝を果たし、若元春は幕内に定着しつつある。井筒三兄弟が成し遂げられなかった三兄弟同時関取を果たせるかどうかは長男の若隆元次第かもしれない。
若隆元の最高位は幕下7枚目。春場所は幕下13枚目で3勝4敗と惜しくも負け越してしまったが、幕下10~20枚目付近で戦い続けている。昨年12月に30歳になった若隆元だが、まだ十分に可能性がある年齢だ。
若隆景の活躍に湧いた春場所だったが、番付で抜かれてしまった弟2人に追いつくことを目標に三兄弟切磋琢磨して史上初の三兄弟同時関取を達成することに期待したい。
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