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高校サッカー100年史、戦後最多優勝校ランキング1位の高校と都道府県は?

2021 12/27 08:00田村崇仁
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戦前は御影師範が断トツの11度優勝

冬の風物詩、全国高校サッカー選手権は12月28日の開幕で第100回の節目を迎えた。

大会の長い歴史を振り返ると、前身の大会は大正時代の1917年度に関西で8校参加によるスタート。戦前は御影師範(兵庫)が初代王者から7連覇を含む11度の優勝と断トツの実績を誇り、戦争による中断と戦後の学制改革を経て現行の高校大会として生まれ変わった。

人気に火が付いたのは、観客増を期待して首都圏に会場を移した1976年度以降。満員となる東京・国立競技場は高校生の憧れの「聖地」となった。1993年のJリーグ開幕で各クラブに育成組織ができて選手の環境も変化したが、高校サッカーは全国選手権が日本代表への登竜門でもあり、数々の名門校が生まれた。

GK川口能活(静岡・清水商出身)、MF中田英寿(山梨・韮崎出身)、FW城彰二(鹿児島・鹿児島実出身)ら日本がワールドカップ(W杯)に初出場した1998年フランス大会代表の多くも全国高校選手権の舞台を経験している。

国見と帝京が6度優勝、3位は市船橋の5度

戦後最多の優勝校で調べていくと、名選手を輩出した国見(長崎)と帝京(東京)が計6度でトップタイ。3位は市船橋(千葉)が5度の優勝で次点につけている。4位は浦和市立(埼玉)(現・さいたま市立浦和)と藤枝東(静岡)が4度で並ぶ。

高校サッカー戦後最多優勝校


国見といえば、1987年度の初制覇から6度の優勝に導き、現在は長崎総合科学大付の監督を務める小嶺忠敏氏の熱血指導が有名だろう。攻撃的MFとして8得点で得点王に輝いた大久保嘉人の存在感も忘れがたい。

高校サッカー界の「怪物」と呼ばれた平山相太は2年連続得点王で通算17得点の大会最多記録を残し、2度の優勝と1度の準優勝を飾った。190センチの長身を生かした空中戦だけでなく足元の技術も抜群で大暴れした。

帝京は古沼貞雄監督を擁し、伝統のカナリア色のユニホームで高校サッカー界を席巻。礒貝洋光、松波正信、田中達也、中田浩二ら数多くの名選手を輩出し、実績を積み上げた。

最後の優勝はエース松波らが中心だった1991年度の第70回大会。小倉隆史や中西永輔らを擁した四日市中央工(三重)と延長戦の末2―2で引き分け、両校優勝となって以来、全国の頂点から遠ざかっている。

輝き放った市船橋の北嶋秀朗、東福岡の本山雅志

優勝5度の市船橋(千葉)は第73回大会から3大会連続で出場した北嶋秀朗が圧倒的な存在感を示した。1年時に初優勝、2年時はベスト8でPK戦負けしたが、主将として臨んだ3年時に2度目の優勝。市船橋が全国にその名を轟かせた時代を背負うエースだった。

優勝3度の東福岡はエース本山雅志らを擁し、1997年度に高校総体、全日本ユース選手権、高校選手権と史上初の「3冠」を達成したチームが強烈な印象を残した。

切れ味鋭いドリブルと卓越したパスセンスでタレントぞろいのチームを引っ張り、激しい雪の中での決勝は後にJリーグ鹿島で同僚となるライバル中田浩二率いる帝京(東京)と対戦。2―1で逆転勝ちし、歴史に残る名勝負で初制覇した。

戦後の都道府県別トップは埼玉県、2位は静岡県

100年の歴史を誇る高校サッカーの優勝回数を戦後の都道府県別のランキングでみると、トップは1950年、60年代に浦和市立や浦和、浦和南などが席巻した埼玉県で12回。これに続くのが「サッカー王国」静岡県の10回だ。

4度優勝の藤枝東、3度優勝の清水商をはじめ、清水東、東海大一、静岡学園と名門校が続々と誕生した。

高校サッカー戦後都道府県別優勝校


1990年代から伸びたのは千葉県で8回。市船橋、習志野、流経大柏が台頭している。さらに国見を擁した長崎県の7回、東京と広島県の6回と続く。意外にも優勝がないのが神奈川県。時代の変遷とともに都道府県の勢力図も浮かび上がってくる。

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