初登場は1989年、山梨学院大のオツオリとイセナ
正月の風物詩、箱根駅伝で賛否が絶えないのが外国人留学生の出場についてだ。
日本選手を寄せつけない圧倒的な速さゆえに、批判の的になることもしばしば。この外国人留学生はいつから箱根に登場したのか。そして、歴代で最強の外国人留学生は誰なのか。その歴史を振り返る。
箱根に初めて外国人留学生が出場したのは、昭和最後の年となる1989年の65回大会になる。山梨学院大のジョセフ・オツオリとケネディ・イセナの2人だ。
初めて箱根を走る外国人留学生のスピードは異次元だった。特にオツオリの力は抜けていた。1年生で花の2区を走り、7人抜きの快走で区間賞を獲得した。今でも、山梨学院大=外国人留学生のイメージが強いのは、オツオリの存在が大きいだろう。
オツオリは2、3年も2区を走って3年連続区間賞。4年生の時は故障もあり、2区で区間2位だった。ただ、その時は3区のイセナが区間タイ記録(当時)の走りを見せ、山梨学院大は初優勝を飾っている。
お気付きの人も多いと思うが、当時は外国人留学生の人数について規制がなかった。現在はエントリーは2人までで、出場は1人までとなっている。これは2005年秋の予選会から適用されたもので、日本選手の強化のため、というのがその理由だった。
なお、オツオリは2006年、ケニアで交通事故に遭い、死亡した。37歳だった。
早大・渡辺康幸のライバルだったステファン・マヤカ
オツオリが卒業した後の1993年69回大会で登場したのが、山梨学院大のステファン・マヤカだ。ちなみに、この大会では亜大のビズネ・ヤエ・トゥーラもデビューしているが、マヤカほどのインパクトは残せなかった。
マヤカもオツオリ同様、1年生から花の2区を走り、区間賞を獲得。2年の時も2区を走り、当時の区間タイ記録で区間賞となった。3、4年次も2区を走ったが、当時のスター選手で早大の渡辺康幸にタイムで負けることになる。
マヤカと渡辺は同学年で、箱根だけでなく全日本大学駅伝でも名勝負を繰り広げた。それだけに、マヤカのことを覚えている人も多いはずだ。
なお、マヤカは日本選手と結婚し、日本で指導者として活躍している。
タイムならヴィンセント、ごぼう抜きならダニエル、でも最強は…
さて、最強の留学生は誰かということになると、いろんな考え方があるだろう。
外国人留学生はエースの集まる2区を走ることが多く、2区の成績が一つの基準になるだろう。
2区の歴代記録(現行の距離となった59回大会以降)を見ると、1位は2022年もエントリーしている東京国際大のイエゴン・ヴィンセントになる。1年生の時の箱根は3区で区間新、2年生では2区で1時間5分49秒の区間新をマークした。
今年は出雲駅伝で同校初の優勝にも貢献。現在の留学生の中では最強であることは間違いないし、歴代最強の呼び声が出てくるのもうなずける。
また、ごぼう抜きを基準にすれば、日大にいたギタウ・ダニエルが印象を残す。ダニエルは2009年の85回大会の2区で歴代最多ごぼう抜き記録となる20人抜きを達成した。
ただし、この大会は23チーム(98回大会は21チーム)が出場しているので「参考記録」とも言える。一方で、20チームが出場した前年の84回大会でもダニエルは15人を抜いており、やはり力があったことは間違いない。
筆者は箱根を走った留学生で歴代最強として、山梨学院大にいたメクボ・モグスを推したい。山梨学院大付高から日本に来たモグスは駅伝で強かった。箱根は2006年の82回大会から4年連続で2区を担当。2年以外はすべて区間賞で、3、4年の時は区間新だった。
4年生の時にマークした2区の1時間6分4秒は今でも歴代3位。1、2位の選手とは違い、厚底シューズのない時代だったことを考えると、やはり力は歴代でもトップクラスだ。
今年は東京国際大のヴィンセントをはじめ、7人の留学生がエントリーしている。歴史に名を残す走りが見られるだろうか。
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