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スピードスケート「長島圭一郎」~偉大なる功績~

2017 2/9 18:26
スピードスケート
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出典: http://news.yahoo.co.jp/

スピードスケートは冬季スポーツの花形だが、その中で世界を相手に活躍してきた選手が長島圭一郎だ。 今回は、長島圭一郎の生い立ちから功績までを紹介する。

生い立ち

長島圭一郎は、1982年に北海道池田町利別で生まれた。実家は畜産業を営んでおり、スケートとは無縁の環境だったが、北海道という土地柄と、2人の姉がスケート遊びをしていたことで、3歳からスケートを始めた。
中学時代にはスケート部と野球部を掛け持ちした。その後、転機となったのが、高校進学の際に野球で推薦をもらえなかったことだった。そのため、高校ではスケート部に専念し、才能が開花し始めることとなる。

高校時代

地元の池田高校に進学してスケート部に入った長島は、当初は長距離種目の選手だった。長距離種目の選手としては、なかなか思うような結果が出ない日々が続くが、高校3年生の時に短距離種目に挑戦したことから、大きな転機が訪れる。
短距離種目の全日本ジュニア選手権500m、インターハイ1000mで立て続けに優勝したが、これが短距離転向後3ヶ月ほどでの出来事だったことから、いかに短距離種目に適性があったかがわかると思う。

日本大学文理学部体育学科に進学

当初は明治大学へスポーツ推薦での入学を希望していたが、それは叶わず、日本大学文理学部体育学科に進学することになった。入学後は学生氷上選手権で活躍したが、1?3年生の時は優勝できず、4年生の時に2004年ユニバーシアード大会で優勝した。
卒業後は日本電産サンキョーに入社し、その年の全日本スプリント選手権大会で優勝。2006年トリノオリンピックの切符を手に入れた。しかし、初のオリンピックはほろ苦い大会となる。

自身初のオリンピック

全日本スプリント選手権大会の優勝という結果を引っさげ、満を持して挑んだトリノオリンピックだったが、長野オリンピックの金メダリスト・清水宏保や、大会以前から注目されていた加藤条治、及川佑の陰に隠れる形となり、500mは13位、1000mは32位という結果に終わった。
結果的には惨敗だったが、オリンピックをきっかけに国際大会で結果を残し始める。2006年のW杯で初優勝を果たし、2010年のバンクーバーオリンピックに向けて、好調を維持し続けた。

悲願のメダル獲得

2度目のオリンピックとなった2010年のバンクーバー大会。その前に、2007年、2008年に日本新記録を出すなど、選手としての全盛期を迎えつつあった長島は、1000mこそ37位に終わってしまったが、500mでは銀メダルを獲得した。
2014年のソチ大会では、オランダ勢の壁があまりにも高く(オランダ代表20人でメダル23個)、500mで6位入賞という不本意な結果に終わり、翌年には現役引退を決めた。

引退から現役復帰

2015年に引退した後、日本電産に残ってスピードスケートの普及活動を続けていたが、2016年1月に同社を退社して現役復帰を発表した。
長島は復帰会見で、金メダルを獲得できないという自分の才能のなさを自覚した上で、才能がないなりにチャレンジをしたいという決意を表明した。 フリーとしての活動なので、企業に属している選手よりも懐事情は厳しいのだが、2018年平昌オリンピックでの金メダル獲得に向けて活動している。

まとめ

一度現役を引退した選手が、再び現役復帰をすることは、なかなかできることではない。 そんな中で現役復帰を決め、活動資金もままならないにもかかわらず、挑戦を続ける姿は見事だと思う。 今後の長島圭一郎の活躍に注目だ。

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