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【サッカーに愛された男たち】ワールドカップ歴代得点王の回想録

2017 6/30 12:56dada
ハメス・ロドリゲス
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爆撃機の襲来!1970年大会西ドイツ代表ゲルト・ミュラー

西ドイツ代表とFCバイエルン・ミュンヘン(以下、バイエルン)で活躍したゲルト・ミュラー氏(以下、敬称略)は、「爆撃機」の愛称で親しまれた点取り屋だった。
的確なポジショニングで常にボールの芯を捉える強烈なシュートを放ち、易々とゴールを奪っていった。不安定な体勢からも抜群のシュートコースを選択し、どこからでも相手の守備陣を破壊する、まさに爆撃機の如きプレーだった。
ミュラーは、1970年のW杯において、10得点を挙げ得点王となった。2位のジャイルジーニョ氏は7得点であったから、ミュラー氏の単独トップの記録となった。グループステージの段階から出場する試合すべてで1得点以上を挙げ西ドイツの躍進に貢献した。
この大会の西ドイツ代表はミュラーの活躍もむなしく3位に終わったが、後の1974年大会ではまたしてもミュラーが4得点の活躍で見事優勝を収めた。
結局彼はワールドカップで通算14得点を挙げ、後の2014年大会で同胞のミロスラフ・クローゼ氏(以下、敬称略)に抜かれるまで、最多得点記録保持者であり続けた。

第2の人生も順調!1986年大会イングランド代表ギャリー・リネカー

引退後に解説業を務めるギャリー・リネカー氏(以下、敬称略)はイングランド代表のストライカーだ。イギリス紳士らしい喋り口調が人気で、サッカー番組ではお馴染みの存在だ。
2015-16シーズンに古巣のレスター・シティFC(以下、レスター)が好調を見せていたタイミングには、「レスターが優勝したらパンツ一丁で番組に出るよ」と語り、その約束は後に果たされた。
そんなリネカーは、1986年大会のW杯に出場し6得点を記録し得点王となった。
この大会のイングランド代表は、グループステージ敗退の危機に陥るが、勝負強さが売りのリネカーがポーランド戦でハットトリックを記録し、ベスト8まで導いた。イングランド代表はこの大会での得点をほぼリネカーに頼り切っており、グループステージから決勝トーナメントまでの全7得点のうち、リネカーのみで6得点を挙げていた。
しかし、リネカーの活躍の裏では、ディエゴ・マラドーナ氏が神の手ゴールや5人抜きで話題を持ち去っており、リネカーの功績は少し霞んでしまったように思える。色々な意味で1986年大会は感慨深いものだった。

解き放たれた怪物!2002年大会ブラジル代表ロナウド

ブラジルには「フェノーメノ(怪物)」の愛称で親しまれたロナウド氏(以下、敬称略)がいた。爆発的な加速とトップスピード、驚異的なフィジカルの強さ、ゴール前での落ち着き、その全てにおいて当時のロナウドの右に出る者はいなかった。怪物とはよく言ったもので、世界各地の強豪クラブで常に結果を出したロナウドは、代表での活躍もさすがだった。
2002年大会では、8得点を挙げて得点王になった。この大会は相次ぐ不審な判定やそれに伴う八百長問題で荒れた大会ではあったものの、ロナウドをはじめとしたブラジル代表は圧倒的な攻撃力を発揮し続けた。ロナウジーニョ選手やリバウド選手が第一線で活躍したのもこの頃で、日本のサッカー人気も一気に上向きになっていた頃かもしれない。人々はブラジル代表の魅せるサッカーに魅了されたのだった。
ロナウドは準決勝で1得点、決勝戦で2得点という大車輪の活躍を見せて優勝に貢献。この優勝でブラジル代表は通算5回目のW杯優勝を決めた。この記録は単独トップだ。
引退後は小さなクラブのオーナーや解説業、レアル・マドリードCF(以下、マドリード)の宣伝大使などを務めているようだ。

さすがの得点力!2006年大会ドイツ代表ミロスラフ・クローゼ

ミロスラフ・クローゼ氏(以下、敬称略)は、空中戦に圧倒的な自信を持ちどんな選手にも競り負けることなく、幾度となくヘディングシュートでゴールを奪ってきた。ドイツのいくつかのクラブを渡り歩きながら、2011-16シーズンまでSSラツィオ(以下、ラツィオ)に所属。多くのサポーターに惜しまれつつ、このクラブで引退している。
W杯には2002、2006、2010、2014大会と連続して出場しており、2006年大会では5得点を挙げて得点王となった。
GKやMFの層が厚かったドイツ代表ではあったものの、この時前線の選手層には少々物足りない印象があった。その穴を埋め続けたのがクローゼだった。
常にゴールを生んできたクローゼは2014年大会でW杯通算得点記録を16に伸ばし、同胞のレジェンドであるミュラーの記録を抜いた。この大会でドイツ代表は圧倒的な強さで優勝を収めている。
クローゼは大会終了後に引退を示唆し、2015-16シーズンのラツィオでの契約満了をもって引退。そのままドイツ代表のスタッフへの道を歩み始めた。
ドイツ代表に受け継がれる点取り屋のDNAは、今後も彼の指導を通じて続いていくのかもしれない。

最高のW杯を経験!2010年大会ドイツ代表トーマス・ミュラー

ゲルト・ミュラーの後継者と呼ばれるのが、トーマス・ミュラー選手(以下、敬称略)である。名前も似通うことから、比較されがちだ。なお、自身の父の名前はゲルト・ミュラーであるというから驚きだ。
豊富な運動量を武器に、前線のどこでもプレーできるミュラーは、ドイツ代表と所属するバイエルンでマルチな働きを見せている。
シャドーストライカーとしての働きも優秀で、2010年大会では5得点を挙げている。なお、この大会では他に3人が5得点を記録しているが、3アシストを評価されディエゴ・フォルラン選手やダビド・ビジャ選手を押さえて得点王となっている。さらには、この3アシスト数もメスト・エジル選手やカカ選手らと並んでトップの数字となっている。
W杯において得点王と最多アシストを記録した選手は彼が初めてで、ベストヤングプレーヤー賞までも受賞している。ドイツ代表は3位に終わったものの、彼個人で言えば完璧なW杯だったと言えるのではないだろうか。

成し遂げたブレイク!2014年大会コロンビア代表ハメス・ロドリゲス

2014年W杯はハメス・ロドリゲス選手(以下、敬称略)のためにあったのかもしれない。ブラジル代表の思わぬほどの不調、ドイツの圧倒的な強さも大いに紙面を沸かせたが、ハメスの活躍も見事だった。
準々決勝でネイマール選手を欠くブラジルに敗れはしたものの、6得点を挙げて得点王に。決勝トーナメントでウルグアイ代表を破った豪快なボレーシュートは、大会のベストゴールと2014年のプスカシュ賞にも選出されている。
ハメスはこの大会での活躍が認められ、後にマドリードへの移籍を手にしている。 W杯は世界中のメディアやクラブ関係者が注目する試合で、時折大きなステップアップを果たす選手が出てくる。ハメスが掴み取ったマドリードへの移籍はその典型だ。文句なしのW杯ブレイクだった。

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