W杯で6得点、Jリーグ通算56得点
サッカー元イタリア代表FWで1990年ワールドカップイタリア大会得点王に輝き、Jリーグのジュビロ磐田でもプレーしたサルヴァトーレ・スキラッチ氏が18日、死去した。晩年に結腸癌を患い闘病していたと報じられている。59歳だった。
スキラッチ氏が最も輝いたのは、ユヴェントスでプレーしていた1990年に母国で開催されたワールドカップだ。グループリーグではオーストリア、アメリカ、チェコスロバキアに3連勝し、スキラッチ氏は2得点。決勝トーナメント1回戦のウルグアイ戦、準々決勝のアイルランド戦、準決勝のアルゼンチン戦、3位決定戦のイングランド戦でもゴールを決め、計6得点で得点王に輝いた。
その後、インテル・ミラノを経て1994年からジュビロ磐田でプレー。95年には31ゴールをマークするなど、97年まで在籍してJリーグ通算78試合56得点を記録している。
引退後は地元のパレルモでサッカースクールを開設。2016年に群馬で開催された日伊国交150周年チャリティーマッチにユベントスレジェンズの一員として出場するなど、日本でも愛されたプレーヤーだった。
野々村チェアマン「ストライカーと呼ぶに相応しい存在」
Jリーグの野々村芳和チェアマンは「この度の訃報に大変驚いています。スキラッチ氏とは、同じ年代にプレーした選手として対戦経験もあり、その華麗なプレーと優れた得点感覚で相手チームにとって脅威を与える、まさにストライカーと呼ぶに相応しい存在でした。ジュビロ磐田でのプレーは今でもファン・サポーターの記憶に深く刻まれていることでしょう。体調を崩しているという報道を目にし、回復を祈っていましたが誠に残念でなりません。Jリーグ創成期に活躍したストライカーに、Jリーグ、Jクラブ、サッカーファミリーより、心からの哀悼の意を表します」とコメント。
ジュビロ磐田の藤田俊哉スポーツダイレクターも「あまりにも早い突然の別れに驚くばかりです。ワールドカップの得点王と、ジュビロで一緒にプレーできたことは、サッカー選手としての宝物です。素晴らしいストライカーでした。彼のプレーから多くのものを学びました。ご冥福をお祈り申し上げます」と哀悼の意を表している。
スキラッチ氏が眩い輝きを放った1990年ワールドカップの優勝は、東西統一直前だった西ドイツ。準優勝したアルゼンチンの10番はマラドーナだった。
日本代表がまだワールドカップに出場したことのなかった時代。イタリア代表として輝かしい実績を残し、草創期のJリーグで本場のプレーを見せつけた「トト」の強烈なインパクトは今も色褪せない。日本サッカーの発展にも寄与したスキラッチ氏の活躍はファンの記憶に刻まれ、永遠に語り継がれていく。
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