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日本サッカー史に刻まれる山本浩アナウンサーの名実況とワールドカップの記憶

2022 11/19 11:00SPAIA編集部
メキシコワールドカップで優勝したアルゼンチン代表FWマラドーナ,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

伝説の5人抜きに絶叫「マラドーナァァァ」

スポーツの名シーンをよりドラマチックに演出するのがアナウンサーの実況だ。日本サッカー界が世界の壁に何度もはね返された時代から、世界トップレベルのサッカーを日本のお茶の間に伝えたのが元NHKの山本浩アナウンサーだった。

まだSNSはもちろん、衛星放送すら普及していなかった1980年代からサッカー中継の第一人者として活躍。その名を世に知らしめたのが1986年のワールドカップメキシコ大会だった。

準々決勝のアルゼンチン対イングランド戦、大会注目のストライカーだったアルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナの伝説の5人抜き。山本アナは「マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ、来たー、マラドーナァァァ」と一人抜くたびに名前を叫び、ゴールを決めた瞬間絶叫した。

最初の「マラドーナ」は低いトーン、次第に音階とボリュームを上げ、最後に絶叫した山本アナの声とガッツポーズでスタンドのファンに駆け寄るマラドーナの後ろ姿をご記憶の方も多いだろう。アルゼンチンはその後も勝ち上がって2度目の優勝。5得点5アシストでマラドーナがMVPに輝いたことから「マラドーナのための大会」と呼ばれた。

ドーハの悲劇に「重い扉」

夢が現実になりかけたのが1993年だった。日本サッカー史の1ページとして永遠に語り継がれるであろうアメリカワールドカップ・アジア地区最終予選のイラク戦。宿敵・韓国を破って王手をかけ、勝てば悲願の初出場が決まる一戦でしかし、日本は試合終了直後に同点ゴールを許した。

試合終了を告げる無情のホイッスルが鳴ると、日本の選手たちはピッチにうずくまり、立ち上がれない。深夜の生中継を見ていた日本のファンも全身から力が抜けるのを感じたはずだ。山本アナは遠く離れたドーハの地で声を振り絞った。

「アメリカへの道。重い扉。ついに引き分けという形で終わってしまいました、日本」

「1本のカギ」を見つけたジョホールバルの歓喜

4年後の1997年11月16日、フランスワールドカップ・アジア最終予選のアジア第3代表決定戦。マレーシアのジョホールバルでイランとの決戦だった。ピッチに登場する日本代表の映像とともに、山本アナはこう言った。

「スコールに洗われたジョホールバルのピッチの上に、フランスへの扉を開ける1本のカギが隠されています。ラルキンスタジアムのこの芝の上で、日本代表はそのカギを必ず見つけてくれるはずです」

静かな、それでいてハッキリとした口調に、放送席で選手とともに戦うような決意が感じられるようなフレーズだった。試合は2-2でゴールデンゴール方式の延長戦に突入。延長後半13分、途中出場の岡野雅行が決勝ゴールを叩き込んだ。

「日本、フランスへ!最後は岡野。この時を待っていました、日本。とうとうやりました」

ほかにも挙げればキリがない名実況。「悲劇」を生んだカタールで日本代表は歴史を塗り替えるだろうか。そして、記憶に刻まれる名実況を聞けるだろうか。カタールワールドカップがいよいよ幕を開ける。

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