全国的には全く無名だったアマチュア時代
サッカーは組織的な体系が整っている為、日本代表に選出される選手や、ましてや海外のトップリーグに移籍するような選手はアマチュアの頃から名前が知られている選手がほとんど。しかし、2017年にイタリアの名門インテルミラノで6年目を迎える長友佑都選手は特別強化指定選手として2007年にFC東京に加入するまで全国的にはほとんど知られていない存在だった。
長友選手が全国の舞台に初めて登場したのは高校時代。2002年地元愛媛県からサッカーの名門校である東福岡高校に進学し、3年生となった2004年についに高校サッカー選手権に出場を果たすが、チームは初戦となる市立船橋戦でPK負け。名門校ではあったが、プレースタイルは運動量と球際の強さが光る“汗かき屋”。そしてこの大会には本田圭佑選手や、滝川二高の岡崎慎司選手なども出場していたため名前が知られる大会というわけではなかった。
その後明治大学に進学し右SBにコンバートされるが、腰の負傷もあり出場できずスタンドで観戦する事が続く日々。太鼓を叩いて応援している姿もあり、その太鼓が上手いと鹿島アントラーズの応援団にスカウトされた事もあった。
大学2年生で掴んだチャンスからオリンピック代表へ
大学2年生になるとようやく腰の負傷も癒えチームに復帰。すると負傷中に腰をカバーするために鍛えた体幹に筋力が上がったことで元々の持ち味であった運動量と球際の強さが更にアップ。プレーの質が一気に高まる。
そんな中、大学2年生の終盤に明治大学はFC東京と練習試合を行う事に。長友選手はその試合に出場するとマッチアップしたスピードが武器のブラジル人選手をスピードと1対1の強さで完全に封じ込めると、FC東京はすぐに特別強化指定選手としてチームに参加することを要請。これをきっかけに北京オリンピックを目指すU-23日本代表にも選出されるようになる。
そして翌年には大学卒業をまたずにFC東京とプロ契約。高校時代にサッカーで大きな実績がなかった長友選手はスポーツ推薦ではなく、指定校推薦枠で大学に進学していたからこそ可能だった形だった。
FC東京では開幕戦からレギュラーポジションを掴む大活躍。後にブラジル代表にも選ばれるフッキを完全に封じ込めたプレーで大きな話題となり、U-23日本代表として北京オリンピックにも出場。この代表では左サイドバックは安田理大選手という絶対的な存在がいたため、右サイドバックのポジションを内田篤人選手と争う形になっていた。
無名の選手がわずか4年で世界最高峰の舞台へ
北京オリンピックでサッカーファン以外にも名前が知られるようになった長友選手はその後も目覚ましい活躍を続ける。まずはFC東京でポジションを掴み、日本代表にも定着。南アフリカワールドカップに出場すると、初戦のカメルーン戦、2戦目のオランダ戦では両チーム合わせてのトップスピードを記録しエースキラーとして大活躍。自国開催以外で初めての決勝トーナメント進出するという偉業達成の立役者の一人となる。そして大会終了後にはワールドカップで見せたプレーを評価されイタリアのチェゼーナに移籍を決めると、半年後には名門インテル・ミラノへとステップアップ。
4年前まで全国的には全く無名、練習試合での活躍で声をかけられた選手がサッカーファンなら世界中の誰もが名前を知るクラブであるインテル・ミラノに所属し、サッカー選手なら誰もが憧れるチャンピオンズリーグの決勝トーナメントの舞台でプレーするという驚くべきスピードで世界トップレベルの舞台でプレーする選手となる。
そしてこのインテル・ミラノに認められたのは運動量と球際の強さ。これは長友選手が高校時代から特徴としていた要素そのままだ。
運動量と球際の強さが光る“汗かき屋”
海外のトップリーグに移籍する日本人選手は華麗なテクニックを持つ選手がほとんど。それ故に攻撃的なポジションの選手が多く、またディフェンダーでも日本代表のチームメイトである内田篤人選手の様にビルドアップのパスに非凡なもの持っている選手であったりする。
しかし長友選手は特筆する様なテクニックや非凡な技術を持っている選手ではない。
そしてさらに同じく日本代表のチームメイトである吉田麻也選手の様な高さがある訳でも無い。それどころか身長170cmはプロサッカー選手全体から見ても小さい選手だ。
そんな長友選手の武器は運動量と球際の強さ。いわゆる“汗かき屋”としてのプレーを特徴としている選手で、こういった選手はどこのチームにでもいる特別な選手ではない。
しかし長友選手はこの特別ではない特徴を、自分自身で技術、戦術、メンタル、フィジカルなどで戦略を立て、心・技・体のすべてを使うことで、“特別な汗かき屋”というにレベルにまでに高めることで、世界のトップレベルで認められる選手となった。
この“汗かき屋”という要素は、言い換えれば日本人選手が持っているとされる“献身性”。長友選手はその日本人なら持っているとされる要素を徹底的に、そして戦略的に高めることで世界のトップレベルにまで達する事ができるということを証明した選手だともいえる。
魅力をより輝かせるコミュニケーション能力
長友選手の特徴である運動量と球際の強さが光る“汗かき屋”というプレースタイルは、チームプレーの中でより輝く能力。いわゆるソリストではなくチームプレーヤーだから、チームメイトとの関係性で輝きはさらに増すことになる。
長友選手の事を、インテル・ミラノの元会長であるマッシモ・モラッティ氏が、チームで最もフレンドリーな選手だと評し、チェゼーナでのチームメイト、ジュゼッペ・コルッチ選手が「長友は言葉もわからないのに加入直後から冗談を言い合っていた、長友は日本人なんかじゃない。あれはラテンの血が混ざってる。むしろイタリア人だよ。」と語っており、インテル・ミラノでのチームメイトであった、元オランダ代表ウェズレイ・スナイデル選手や、元イタリア代表のアントニオ・カッサーノ選手などは、長友選手を親友だと言うように、長友選手はコミュニケーション能力の高さも特筆すべき特徴。
このコミュニケーション能力の高さが、長友選手の魅力をより輝かせる事につながっているのだろう。
U-16日本代表の森山佳郎監督は、若き日本代表選手に対して「長友佑都を見習え」と語っているそうだ。