「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

世界レベルの“汗かき屋” 長友佑都

2017 8/17 16:20Aki
nagatomo
このエントリーをはてなブックマークに追加

全国的には全く無名だったアマチュア時代

サッカーは組織的な体系が整っている為、日本代表に選出される選手や、ましてや海外のトップリーグに移籍するような選手はアマチュアの頃から名前が知られている選手がほとんど。しかし、2017年にイタリアの名門インテルミラノで6年目を迎える長友佑都選手は特別強化指定選手として2007年にFC東京に加入するまで全国的にはほとんど知られていない存在だった。
長友選手が全国の舞台に初めて登場したのは高校時代。2002年地元愛媛県からサッカーの名門校である東福岡高校に進学し、3年生となった2004年についに高校サッカー選手権に出場を果たすが、チームは初戦となる市立船橋戦でPK負け。名門校ではあったが、プレースタイルは運動量と球際の強さが光る“汗かき屋”。そしてこの大会には本田圭佑選手や、滝川二高の岡崎慎司選手なども出場していたため名前が知られる大会というわけではなかった。
その後明治大学に進学し右SBにコンバートされるが、腰の負傷もあり出場できずスタンドで観戦する事が続く日々。太鼓を叩いて応援している姿もあり、その太鼓が上手いと鹿島アントラーズの応援団にスカウトされた事もあった。

大学2年生で掴んだチャンスからオリンピック代表へ

大学2年生になるとようやく腰の負傷も癒えチームに復帰。すると負傷中に腰をカバーするために鍛えた体幹に筋力が上がったことで元々の持ち味であった運動量と球際の強さが更にアップ。プレーの質が一気に高まる。
そんな中、大学2年生の終盤に明治大学はFC東京と練習試合を行う事に。長友選手はその試合に出場するとマッチアップしたスピードが武器のブラジル人選手をスピードと1対1の強さで完全に封じ込めると、FC東京はすぐに特別強化指定選手としてチームに参加することを要請。これをきっかけに北京オリンピックを目指すU-23日本代表にも選出されるようになる。
そして翌年には大学卒業をまたずにFC東京とプロ契約。高校時代にサッカーで大きな実績がなかった長友選手はスポーツ推薦ではなく、指定校推薦枠で大学に進学していたからこそ可能だった形だった。
FC東京では開幕戦からレギュラーポジションを掴む大活躍。後にブラジル代表にも選ばれるフッキを完全に封じ込めたプレーで大きな話題となり、U-23日本代表として北京オリンピックにも出場。この代表では左サイドバックは安田理大選手という絶対的な存在がいたため、右サイドバックのポジションを内田篤人選手と争う形になっていた。

おすすめの記事