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日本サッカーの界レジェンドが背負った、横浜F・マリノスの背番号10

2017 10/13 10:05Aki
横浜F・マリノス
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横浜F・マリノスの前身、日産自動車サッカー部

2017年現在、Jリーグ発足時から存在するオリジナル10のうち、一度もJ2降格を経験していない2クラブのうちの1つである横浜F・マリノス。Jリーグ発足時から常に強豪クラブであり続けるこのクラブの伝統は、前身である日産自動車サッカー部から始まっている。
日産自動車サッカー部の発足は1972年。ジェフユナイテッド千葉の前身である古河電工サッカー部や、セレッソ大阪の前身であるヤンマーディーゼルサッカー部などに比べると比較的歴史は浅いが、1974年に後に日本代表監督となる加茂周氏をヤンマーディーゼルサッカー部から引き抜き、日本人初のプロ契約監督として招き入れた事から本格的な強化がスタートする。

Jリーグ開幕時には、2度のリーグ優勝、5度の天皇杯優勝、3度のJSLカップ優勝、そしてアジアカップウィナーズカップでも優勝という輝かしい歴史を持つ日本サッカーを代表するサッカークラブとなっていった。
Jリーグ開幕前となる1980年代のサッカー界をリードしたのは、日産自動車サッカー部だったと言っても過言ではないだろう。そんな1980年代の日産自動車サッカー部の10番をつける中心選手だったのが、木村和司氏。横浜F・マリノスの10番の歴史は木村氏から始まった。

「ミスター・マリノス」木村和司氏

明治大学在学中から日本代表の常連だった木村和司氏が、日産自動車サッカー部に加入したのは1981年。現在は解説者として活躍する金田喜稔氏が、高校の先輩であった事が決め手となった。
当時の監督であった加茂氏は、木村氏をウイングからミッドフィルダーへとコンバートする。木村氏は2年目の1982年から背番号10番を背負い、日本を代表する攻撃的ミッドフィルダーへと進化していくこととなる。当時の日本サッカー界では、芸術的で珍しかったフリーキックを武器とするゲームメーカーとなった。

10番を背負い日本代表として活躍をみせると、日産の10番どころか日本の10番として知られることとなり、1983年、1984年の2年連続年間最優秀選手に選ばれた。また1986年には、当時のプロサッカー選手登録制度「スペシャル・ライセンス・プレーヤー」の第1号選手となった。
1993年にJリーグが発足し横浜マリノス(現横浜F・マリノス)が誕生すると、「ミスター・マリノス」と呼ばれるようになり、変動背番号制だった当時も木村氏が先発する時は、常に10番を背負い続けた。

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