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日本サッカーの界レジェンドが背負った、横浜F・マリノスの背番号10

2017 10/13 10:05Aki
横浜F・マリノス
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ボリビアの皇帝、バルディビエソ氏

木村氏が不在の試合や引退後の数年間は、主に山田隆裕氏や三浦文丈氏が10番を背負う形だったが、1997年に固定番号制が始まると、山田氏は22番、三浦氏は11番と10番を背負わなかった。
この時10番をつけたのは、ボリビア代表の司令塔バルディビエソ氏だ。
元ボリビア代表監督のハビエル・アスカルゴルタ氏が、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の監督に就任すると、ボリビア代表の中心選手だったバルディビエソ氏を、アルゼンチンの強豪ニューウェルス・オールドボーイズから引き抜いたのだ。皇帝の異名を持つバルディビエソはスルーパスを武器に、司令塔として横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍した。
同じ1997年に高卒新人として加入した中村俊輔選手と共にチームを牽引していく。中村俊輔選手がプロ2年目となる1998年に決めた初のハットトリック1点目は、現在でも得意としているフリーキックだったが、2点目、3点目はバルディビエソ氏のアシストから決めている。

10番が似合う男、中村俊輔選手

バルディビエソ氏が退団した1999年から、背番号10番は中村俊輔選手がつける事になる。
中村俊輔選手が横浜F・マリノスで10番を背負うのは、1999年からイタリアのレッジーナに移籍した2002年夏までの3年半と、スコットランドのセルティックを経由し、スペインのRCDエスパニョールから復帰した後の2014年から2016年までの3年間の合計6年半だ。
一方で背番号25番だった期間も、新人だった1997年からの2年間と、RCDエスパニョールから復帰直後の2010年から2013年までの4年間の計6年間とほぼ変わらない。だが、横浜F・マリノスの10番といえば、中村俊輔選手というイメージを持つ方が多いだろう。
芸術的なFKを武器とするゲームメーカーは、日本代表でも2003年から10番を背負い、最も10番が似合う日本人選手といえる。
中村俊輔選手も木村和司氏同様に、10番には強いこだわりを持つ選手だ。

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