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ディフェンスリーダーが背負ってきたガンバ大阪の背番号5番

2017 9/13 14:03Aki
丹羽大輝選手
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数多くの意味ある番号を持つガンバ大阪

Jリーグオリジナル10の1つであり、J1で2度の優勝、2008年にはAFCチャンピオンズリーグを制し、2014年にはJリーグクラブとして鹿島アントラーズに続き2クラブ目となる国内三冠を達成しているガンバ大阪。
このクラブには、その歴史と栄光にふさわしく幾つかの伝統ある背番号が存在する。その1つがミスターガンバと呼ばれた松波正信氏がつけた「11番」であり、この番号は後に播戸竜二選手が受け継ぎ、また宇佐美貴史選手も背負った。

他には、Jリーグ創世記は永島昭浩氏が背負い、固定番号制となった1997年以降は、エムボマ氏やマグノ・アウベス氏、ルーカス氏、現在はアデミウソン選手と歴代外国人ストライカーが背負ってきた「9番」。
2003年以降遠藤保仁選手が背負い続ける「7番」。2017年に二川孝広選手から倉田秋選手が受け継いた「10番」と枚挙にいとまがない。
そんな番号の1つが「5番」。この番号は伝統的に攻撃的なサッカーを繰り広げてきたガンバ大阪において、守備のリーダーが背負ってきた番号だ。

クラブ創世記の背番号5番

変動番号制だったJリーグ創世記に、ガンバ大阪で5番を背負ったのは守備的ミッドフィールダーとしてスマートなプレーを見せていたフラビオ氏だった。固定番号制となった1997年以降もダンブリー氏や、現在横浜F・マリノスでプレーするダビド・バブンスキー選手の父親であるボバン・バブンスキーと外国人選手がつけていた。
ガンバ大阪の5番に特別な意味が加わるようになったのは2000年、宮本恒靖氏がこの番号をつけるようになってからである。
それまでガンバ大阪では20番をつけていた宮本氏だったが、シドニーオリンピックに向けて戦うU-23日本代表チームで背負っていた5番に変更。
抜群のキャプテンシーを誇るディフェンスリーダー宮本氏が5番をつけたこの瞬間から、ガンバ大阪にとって5番が特別な番号となっていったのだ。

キャプテンマークと共にあった背番号5番

宮本氏は2001年にイングランド・プレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCへの移籍が内定した。しかし最終的にイングランドの労働ビザ発給が発給されず、この移籍が白紙となり2001年・2002年は背番号35へと変更となった。この期間に5番を背負ったのは、クレバーなプレーと抜群のリーダーシップに特徴があるディフェンスリーダーで、当時のジェフユナイテッド市原から加入した山口智氏だった。ガンバ大阪は、宮本氏がチームを去る可能性が高くなったため、その大役として獲得した選手だった。
その後、2003年からはかつて稲本潤一選手が背負った背番号6番へと山口氏が番号を変えたため、5番は再び宮本氏がつける事になる。

宮本氏が2006年シーズン終了後に、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクに移籍すると、この番号を引き継いだのは2004年から背番号2番をつけていたシジクレイ氏だった。シジクレイ氏は日本でのプレー経験も長く、更に抜群のリーダーシップを持っていた事もあり、5番を引き継いだ2007年にはキャプテンに就任。2008年にシジクレイ氏が古巣である京都サンガに移籍すると、背番号5番は6シーズンぶりに山口氏が受け継ぐ事となり、同時にキャプテンマークも引き継がれている。
つまり宮本氏・シジクレイ氏・山口氏とつけた背番号5番は常にキャプテンマークと共にあったことになる。

山口氏から5番を引き継いだのは

2001年からガンバ大阪に加入して以来11年に渡ってプレーしていた山口氏だったが、2012年に古巣であるジェフユナイテッド千葉へ移籍することで、ディフェンスリーダーと背番号5番の後継者が求められるようになる。
この番号を受け継いだのは、アビスパ福岡への期限付き移籍から復帰した丹羽大輝選手だった。
丹羽選手は、ガンバ大阪の下部組織出身で2004年にトップチームに昇格していたが、当時の厚い選手層の中では出場機会をつかめず、チャンスを求めて2007年から期限付きの移籍となった。
この期限付き移籍は、徳島ヴォルティス、大宮アルディージャ、アビスパ福岡と3クラブ、5シーズンにも渡る異例とも言える長期間だったが、クラブは丹羽選手の成長を見越し、決して契約を途切らせる事は無かった。そして更に異例とも言えるのが、アビスパ福岡では期限付き移籍の身でありながらキャプテンを務めていた事だ。この事実から、丹羽選手にはリーダーシップがあり、ガンバ大阪の5番を引き継ぐにふさわしい選手である事がわかるだろう。

丹羽大輝選手

丹羽選手が復帰し5番を引き継いだ2012年は、ガンバ大阪にとってクラブ史上初となるJ2降格を喫するという、かなり厳しいシーズンだった。
そんな中でも丹羽選手は、抜群のリーダーシップを発揮した。キャプテンマークを巻いているのは明神智和選手、または遠藤保仁選手であったが、ディフェンスリーダーだったのは丹羽選手だ。また本来のセンターバック以外にサイドバックとしてもプレーし、チームに貢献していた。
その後も、時にはレギュラーポジションを外される事もあったが、チームが苦しい状況になると常に精神的な強さをもつ丹羽選手が起用され、シーズン途中からレギュラーポジションを奪い返し続け、2013年のJ2優勝およびJ1昇格、2014年の国内三冠に貢献。2015年には日本代表にも選出されている。

2017年7月以降空き番号となった背番号5番

2017年も背番号5番としてシーズン開幕を迎えた丹羽選手だったが、新加入の三浦弦太選手やファビオ選手にポジションを完全に奪われてしまっていた。
そんな中で届いたのは、塩谷司選手がUAEのアル・アインFCに移籍し、代役を探していたサンフレッチェ広島からのオファー。丹羽選手は2017年6月27日、サンフレッチェ広島に完全移籍することを決める。
これにより、ガンバ大阪の背番号5番は空き番号となる事になった。
こうなると気になるのが、来季に背番号5番を背負う選手。これまでの歴史が表している様に、ガンバ大阪で背番号5番を背負うという事は、チームのディフェンスリーダーになるということでもある。
それは加入初年度から安定感を見せているファビオ選手なのか、それとも同じく今シーズンから加入し、日本代表にも選出されるようになった三浦弦太選手なのか。
またはU-23チームでプレーする若手選手や、新加入選手がいきなり5番を背負う事になるのか。これからの注目ポイントの1つだろう。