ジェフユナイテッド千葉の特別な背番号2番に必要な資質|【SPAIA】スパイア

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ジェフユナイテッド千葉の特別な背番号2番に必要な資質


2年連続欠番となっているジェフユナイテッド千葉の2番

サッカーは1番から11番までの番号がレギュラー番号となるが、プロ野球などの他のプロスポーツに比べて、よりこのレギュラー番号に重きをおく傾向がある。これは先発メンバーが、1番から11番までを必ずつけないといけないという変動背番号制だった歴史が長いためである。

それはJリーグでも同じで、1997年に固定番号制が導入され既に20年以上の歴史を重ねてきたが、1番から11番を与えられるという事は、チーム内でレギュラーに近い存在だという事が認められているという証しなのだ。

そんなレギュラー番号の一部をシーズンにより、欠番とするチームがいくつか出てくるようになった。
その1つが、ジェフユナイテッド千葉の2番である。ジェフユナイテッド千葉の2番は過去2007年と2013年も欠番となっていたが、2016年・2017年は2年連続で欠番となった。

この2番が欠番になっている理由とその歴史を紐解いてみる。

中西永輔氏の活躍で特別な番号となった2番

固定番号制が始まった1997年、ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)で2番をつけたのは、中西永輔氏だった。
中西氏がクラブに加入したのは1992年で、この年は翌年のJリーグ開幕を前に、プレ大会としてヤマザキナビスコカップが開催されていた。

四日市中央工業高校では、小倉隆史氏や中田一三氏らと共に「四中工三羽烏」として、高校サッカー選手権で優勝し、鳴り物入りでジェフユナイテッド市原(当時)へ加入した中西氏。高校時代は主に左サイドバックを務めていた事もあって、変動背番号制だった加入当初つけていたのは3番だった。
しかし、高校時代から守備力に優れたサイドバックでもあり、ボールを奪えば一直線にゴールへ向い、得点も奪うという異色選手だった中西氏は、チーム事情によりフォワードや中盤でも起用された。
その際には9番や11番をつける事もあったが、固定番号制になり2番をつけ、右サイドバックとしてチームを牽引するキャプテンとなった。

日本代表に定着した1997年当初は、左右のサイドバックのバックアッパーとして招集されていたが、身体能力の高さと対人ディフェンスの強さを評価され、1998年のフランスワールドカップでは3バックのストッパーとしてレギュラーを奪取した。
試合には敗れたが、アルゼンチン代表のクラウディオ・ロペス氏のスピードを封じ込める活躍をみせてくれた。
こうしてジェフユナイテッド市原(当時)の顔となった中西氏の2番は、クラブにとって特別な番号となっていったのだ。

2番の価値をさらに高めた「坂本隊長」

中西永輔氏がチームを去った2004年、背番号2番は坂本將貴氏が引き継ぐこととなった。
坂本氏が、ジェフユナイテッド市原に加入したのは2000年だ。日本体育大学では、攻撃的なポジションで注目を集めた坂本氏だったが、プロ入り後は右サイドに定着した。
しかし前任者の中西氏同様、時には最終ラインに入ったり、時には守備的ミッドフィールダーに入ったりとユーティリティプレーヤーとして輝きを見せるようになっていった。
当時監督を務めていたのは、後に日本代表監督となるイビチャ・オシム氏だった。
オシム氏は監督に就任すると、チームキャプテンをクラブの顔でもある中西氏から、当時はまだ21歳だった下部組織出身の阿部勇樹選手へ大抜擢した。

坂本氏は選手会長として阿部選手をサポートするなど、抜群のリーダーシップを発揮してチームを牽引した。アルビレックス新潟でプレーした1年を挟み、ジェフユナイテッド千葉でプレーした12年間で、坂本氏がキャプテンになることは1度も無かったが、サポーターからは「坂本隊長」と呼ばれ愛された。
チーム内のゴタゴタにより2006年シーズン終了後に、アルビレックス新潟へと完全移籍する事となったが、翌2007年シーズン終了後に苦しむチームを助ける為に、1年で再びジェフユナイテッド千葉へと復帰し、以前と変わらずチームを鼓舞し続けた。

2012年シーズン終了後に現役を引退することとなるのだが、出場機会はかなり少なくなっていたものの、本人さえ希望すれば他チームでまだまだ現役を続ける事ができたはずだ。
それでも、ジェフユナイテッド千葉で現役を引退することを決めた事で、阪本氏の背負った2番はさらにクラブにとって重要な番号となった。

2番を引き継いだ大岩一貴選手

中西氏、坂本氏とリーダーシップを持つ選手がつけてきたジェフユナイテッド千葉の背番号2番。坂本氏引退後は誰がこの番号を背負うのかに大きな注目が集まった。
坂本氏引退の翌年(2013年)はこの2番を空き番号としたが、2014年にこの番号を託されたのは、中央大学からプロ入り3年目の大岩一貴選手だった。
29番を背負った1年目からポジションを掴み、2年目には15番へと背番号を代えていた大岩選手が、3年目にしてこの2番を背負う事になったのだ。

大岩選手のポジションは左右のサイドバックとセンターバックで、これまで2番を背負ってきた選手同様に、複数のポジションをこなせる選手だ。まずはディフェンスリーダーとして努め、将来的には力強いチームリーダーへなってほしい――そのような期待をこめての抜擢だった。
2番をつけた大岩選手は、ポジションを確実なものとし、2015年には最終ラインの全てのポジションで出場するという偉業も達成している。

待ち望まれる新しい背番号2番

伝統の背番号2番を背負った大岩一貴選手だったが、2015年のシーズン終了後にベガルタ仙台への移籍が発表される。J1でのプレーを希望しての移籍との事だった。しかし、このシーズンオフはJ2で苦しむ中、合計24人もの選手がチームを去るという異常事態が起こっていた。

大岩選手が移籍して以降の、2016年、2017年、クラブは2番を空き番号としている。
2009年にJ2降格となり、2017年で8シーズン目となるJ2を戦うジェフユナイテッド千葉。
J2では、選手層と資金力共に上位レベルにあるジェフユナイテッド。他の経験豊富なチームは次々とJ1に復帰していく中、なかなかJ1昇格を果たせないでいる。
選悲願のJ1復帰を果たすために必要なのは、これまでの背番号2番を背負ってきた選手の様な、ディフェンスリーダー、チームリーダーなのだろう。

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