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無名のディフェンダーだった塩谷司選手と、その恩師・柱谷哲二氏

2017 4/12 20:20Aki
shiotani
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塩谷選手にとって恩師となる柱谷哲二氏との出会い

塩谷選手にとって後に恩師となる柱谷哲二氏と出会ったのは、塩谷選手が大学2年生の時だった。
長きに渡って日本代表のキャプテンを務めていた柱谷哲二氏が、母校でもある国士舘大学の臨時コーチに就任した事がきっかけだった。当時の塩谷選手はレギュラー選手ではなかったが、柱谷哲二氏は彼の資質を見抜き「絶対に上でやれるから、もう少しちゃんとしろ」と伝えた。
2度目の出会いは塩谷選手が大学4年生の時で、柱谷哲二氏が正式に国士舘大学のコーチに就任した年だった。約半年前に、一度はサッカーを辞める決断をしながら再びプレーすることを決めた塩谷選手は、以前に自分を高く評価してくれた柱谷哲二氏に「本気でプロになりたい」と伝えた。
すると柱谷哲二氏は、それまで守備的ミッドフィルダーとしてプレーしていた塩谷選手をセンターバックにコンバートし、技術的な事だけでなく走ることや身体を張るベーシックなこと、そしてプロとしてやっていく為に必要なメンタル面など、日本代表のキャプテンにまで上り詰めた自らの経験を全て伝授した。そのかいあって、塩谷選手は大学でレギュラーポジションを獲得することができた。
しかし大学卒業前にオファーを受けたのは、当時JFLで活動していたSAGAWA SHIGA FCのみだった。

柱谷哲二氏が水戸ホーリーホックの監督に就任

周囲が大学卒業後の進路を次々と決めていく中、プロからの声がかからない塩谷選手だったが2010年11月、柱谷哲二氏が2011年よりJ2水戸ホーリーホックの監督に就任することが決定。 すると柱谷哲二氏は、塩谷選手に来季から水戸ホーリーホックでプレーしないかと声をかけたのだ。
これにより塩谷選手は、2011年から水戸ホーリーホックの選手としてプレーすることになる。 全国的には大学4年生の1年間しか目立った実績の無い塩谷選手だったが、その柱谷哲二氏がコンサドーレ札幌監督時代に指導した今野泰幸選手(元日本代表で現ガンバ大阪)に近いタイプと評していたとおりのプレーで、1年目の開幕戦からレギュラーポジションを獲得する。
荒削りではあるものの、1対1で抜群の強さを見せるディフェンス力、フィジカルの強さとスピードを兼ね備えた身体能力に加え、大学3年生までは積極的にボールに触り攻撃的なプレーを好む選手だったこともあり、左右両足で正確にボールを蹴ることができる技術の高さを発揮した。2年目のシーズンを迎える頃には、水戸ホーリーホックを代表する選手となっていた。
そんな2年目のシーズン途中の夏、J2で輝くプレーを見せていた塩谷選手にJ1クラブからオファーが届く。オファーを出したのは、清水エスパルス、大宮アルディージャ、サンフレッチェ広島の3チームだった。

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