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厳しいシーズンを経てFC東京を変えようと覚悟を決めた森重真人

2017 4/12 20:20Aki
morishige
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Jリーグで最も高い評価を受けているディフェンダー

ドイツを中心に世界中の移籍情報などをまとめているTransfermarktというサイトでは、それぞれの選手に市場価格として移籍市場で獲得するために必要な移籍金の目安が設定されている。
これはもちろん日本人選手にもつけられており、Jリーグで最も高額なのがセビージャFCからセレッソ大阪に復帰した清武弘嗣選手だ。サッカー市場はヨーロッパが中心となっているため、ヨーロッパでプレーし活躍した選手が高く設定されるという傾向があるものの、Jリーグでプレーする外国人選手も含めても最高金額となっている。
その中でディフェンダーとして最も高額に設定されているのがFC東京の森重真人選手だ。
180万ユーロ(2億円強)という金額はJリーグ全体でも5番目の金額で、日本人選手では清武選手で、ポルトガルでプレーした田中順也選手につぐ3番となる。海外のクラブでプレーしたことが無い選手の中では最高額だ。これは日本代表の活躍による影響が大きいのだろう。 森重選手は2016年に行われた日本代表の10試合全てに出場している。

ボランチからディフェンダーにコンバート

森重選手はサンフレッチェ広島の下部組織出身だ。同期には現在浦和レッズに所属し日本代表でもチームメイトの槙野智章選手がおり、中学生時代の槙野選手と森重選手は当初、2トップを組む間柄だった。
しかしその後、ゲームを見る目の高さと高い技術を買われた森重選手は守備的ミッドフィルダーに転向。ここでも主力としてプレーしていた森重選手だが、槙野選手がサンフレッチェ広島ユースに昇格した一方で、森重選手は昇格メンバーから漏れ高校のサッカー部に所属した。そして高校卒業後に大分トリニータへと加入する。
高校時代にU-17日本代表に選出され大分トリニータに加入する頃には、既にこの世代を代表する守備的ミッドフィルダーとして広く知られるようになっていた森重選手だった。だが、当時の大分トリニータの監督であったシャムスカ氏は、さらにポジションを後ろに下げるセンターバックへとコンバート。
最終ラインにポジションを移すことで、以前は守備的ミッドフィルダーとして見せていた”攻撃を組み立てる能力の高さ”がより発揮されるようになった。また本来持っていた身体能力の高さに加え、空中戦では抜群の強さを発揮し一気にポジションを獲得した。2008年には21歳にしてチームの中心選手として、ナビスコカップ優勝の立役者となっていた。
しかしこの当時、能力の高さを感じさせるものの、時に自分を見失ったかの様なラフプレーを見せる事もあり、イエローカードの多い選手でもあった。

FC東京で日本を代表するセンターバックへと成長

大分トリニータからFC東京へと活躍の場を移した森重選手は、その潜在能力の高さを歴代の監督にも認められチームの中心選手に。また若い頃に多かったラフプレーは、能力が高いゆえに起こるミスをカバーしようとして起こる事が多かったため、地道なトレーニングを積み改善を図っていくことにした。
そしてそれが2013年、日本代表定着のきっかけとなった東アジアカップのメンバー選出につながり、2014年にはブラジルワールドカップのメンバーに選出。ワールドカップ終了後は日本代表の中心選手となって行く。
そしてちょうどこの日本代表で主力となっていく時期に、FC東京で指揮をとっていたのが現在サガン鳥栖の監督を務めるマッシモ・フィッカデンティ氏だった。守備を重視するイタリア人のフィッカデンティ監督は森重を高く評価し、森重もそれに答える様にプレーした。
以前よりも派手なプレーは少なくなったが、強さとクレバーさでしっかりとゴール前にフタをし、2年続けて1試合あたりの平均失点で1を下回るまでに堅い守備を形成。 またそれだけでなく、得意の高さを活かしてセットプレーからゴールを量産していた。
更に選手としての市場価値を大きくあげたのもこの頃で、きっかけとなったのはワールドカップの出場だった。その後もコンスタントに活躍することで、右肩上がりで評価が高まっていった。

監督交代から始まり厳しいシーズンとなった2016年

FC東京はフィッカデンティ監督のもと2015年にはクラブ史上最高位となる4位でシーズンを終えるが、守備的な戦い方だという事もありクラブ方針と合わず監督を退任した。後任に以前もFC東京の監督を務めた経験のある、城福浩氏を就任させるが、これが失敗につながったのだ。
クラブとしては守備的なチームだったから攻撃の再建をという判断だったのだろうが、サッカーでの攻守は連動しているため、どちらかだけというわけには行かないのだ。その結果空回りし、再び監督交代することになった。
後任はコーチを務めていた篠田氏だった。篠田監督のもと、何とか立て直しには成功したものの最終順位は9位だった。2015年は4位でさらなる前進を求めたはずのチームだったが、苦しいシーズンとなったのだ。リーグ最終戦直後のセレモニーでFC東京のキャプテンが語った「選手だけでなく、現場のスタッフ、フロントも含めてプロフェッショナルにならないといけない」は、率直な気持ちから出だ言葉だろう。
そしてそんな中、森重選手のもとにサガン鳥栖から移籍金3億円ともいえる内容のオファーが届く。それは森重選手にとって恩師であり、FC東京の監督退任後は2016年からサガン鳥栖の監督を務めていたフィッカデンティ氏からだった。

FC東京の変革の為に覚悟を持って挑む2017年

森重選手にとっては、2016年の開幕前に受けた中国クラブに続き届いた魅力的なオファーだ。しかも今回は自分のことを高く評価し、共に戦った実績もある大切な恩師からのものだ。しかし彼はこれを拒否し、2019年までの契約更新を発表したのだ。
森重選手本人が語るチーム残留、そして契約延長を決めた理由は「東京でやりたいことがあるから」だった。
昨シーズンのチーム全体の最終戦となった天皇杯準々決勝では、隣町のライバル川崎フロンターレに1-2と敗戦した。この試合後のコメントで「今日は、各々のポジションで川崎に上回られたと感じている」と語り、スコア以上の完敗だったと認めている。
そしてFC東京は今シーズン開幕前に大久保嘉人選手や永井謙佑選手、高萩洋次郎選手、林彰洋選手ら日本代表クラスの選手を次々と獲得。メディアやサポーターから大きな期待を集めているが、「僕たちは、まだ何も手に入れていない。」と森重選手は至って冷静だ。
「2017年は、FC東京の転機の年にしたい」と語り強い覚悟を持っている森重選手は、FC東京を本気で変えようとしている。