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FC東京の10番を背負ってきた名選手5人

2016 7/31 18:20
背番号10、サッカー
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FC東京がJリーグに昇格して以降、背番号10を背負った選手は何人かわかるだろうか。FC東京の栄光の10番を背負ってきた歴代選手を紹介する。

初代背番号10、現在は若手を育てる監督に

FC東京の初代背番号10といえば、奥原崇だ。彼は今、FC東京U-15の監督として、自身の後輩にもあたる若手選手の育成に力を入れている。 そのプレースタイルとポジション、そして風貌から、「FC東京のロベルト・バッジョ」とも評された彼は、テクニカルなプレーを好み、創造性にあふれるプレーで見る者を楽しませてくれた。 しかし、Jリーグに昇格する前の東京ガス時代から再三けがに悩まされ、初代背番号10を背負ったにもかかわらず、出場はわずか7試合だけ。その能力の高さは敵将にも評価されており、奥原が出場できなかった試合で相手チームが勝った際に、敵将は勝因に「奥原がいなかった」ことをあげるほどだった。

いまも昔も、パートナーはアマラオ!

社員選手として入団してエース背番号10を背負ったのが加賀見健介だ。 FC東京の前身である東京ガス時代に、FC東京ファンなら誰もが知るアマラオのパートナーとして抜擢されたのが彼だった。そのときから能力の高さは評価され、FC東京がJ1に上がるのを決める得点をあげた。 好不調の波が激しく、背番号10を背負うもけがに悩まされ、また得意とするトップ下を配置しない監督の方針などで出場機会が減り、目立った活躍が出来ないまま引退。 その後、今ではアマラオとともに、サッカースクールの一員として働いている。

現長野パルセイロの三浦監督も背番号10

現在、J3長野パルセイロの監督を務める三浦文丈も、FC東京で6年にわたり背番号10を背負い、活躍した選手のひとりだ。 FC東京で100試合に出場した彼の功績は、精神的支柱としての存在といえるだろう。生え抜きではなく、FC東京に移籍するまでに3チームを経験してきた彼は、FC東京に来た頃には既にベテラン。経験値を武器に、中盤で絶妙なかじ取りを見せて、とりわけ先発出場した試合では評価が高かった。 最後の1、2年は出場機会が減って、J2クラブなどからも誘いは来たと言うが、愛着あるクラブで引退したいとして、三浦はサポーターに愛されながらFC東京で引退した。

鳴り物入りで加入したワンチョペ

当時のFC東京の原博実監督は、それまでFWでプレーさせていたルーカスを中盤で使いたいという考えを示し、ルーカスに変わるFW選手を探しており、ワンチョペがFC東京に加わり背番号10を背負った。 コスタリカ出身の彼は、イングランド・プレミアリーグでも活躍したほどの名選手で、ワンチョペが日本に来るということで、FC東京だけでなくサッカーファンすべてが興奮したほどだ。 しかし残念なことに、古傷の右ひざのけがに苦しみ、FC東京では12試合の出場に留まり、たった2得点しかあげられないまま退団した。

そのテクニックの高さは誰もが驚く

邪魔しにいっても彼のボールはとれない。「不思議だけど、結局彼がボールキープしているんだ。」2008年以降、今もFC東京の背番号10を背負う梶山陽平のドリブルを知っている監督や選手は、よくこう言う。 ギリシャのパナシナイコスでもプレーしたことがある彼は、いかにも背番号10といえるプレースタイルで、そのドリブルの切れは一級品だ。 トップ下、ボランチ、アンカーなど中盤のどこでもこなす器用さもあり、歴代監督の誰もがそのテクニックの高さを誉める選手で、FC東京としても自らのユース出身で背番号10の選手なので、特別な存在だ。

まとめ

FC東京がJリーグに昇格して以降、背番号10を背負った選手は5人しかいない。言いかえれば、それだけ長い期間背番号10を背負う選手がいるということにもなる。たった5人、されど5人。それぞれに魅力ある選手ばかりだ。

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