ガンバ大阪不動の10番・二川孝広選手
ガンバ大阪一筋の二川孝広選手。高校生の頃からガンバ大阪ユースに所属し、ユース時代はクラブユース大会で優勝、高円宮杯で準優勝を収めるなど、数々の功績を残してきた。
高校卒業後はガンバ大阪のトップチームに昇格を果たし、プロ1年目は全9試合に出場。2003年に10番を託され、2015年の現在に至るまで10番を着て活躍している。日本代表歴は2006年の10月4日に行われたキリンチャレンジカップのガーナ戦の1試合のみ。
2011年にJ2に降格するも1年でJ1に返り咲き、数々のタイトルを手にしてきたガンバ大阪。遠藤選手や今野選手など多くの日本代表選手を抱えるだけでなく、その他の選手の活躍も忘れてはいけない。特にエースストライカーのみつけることを許された10番の選手の活躍には目を見張るものがある。ガンバ大阪の10番を背負ってきた名選手5人を徹底解剖する。
ガンバ大阪一筋の二川孝広選手。高校生の頃からガンバ大阪ユースに所属し、ユース時代はクラブユース大会で優勝、高円宮杯で準優勝を収めるなど、数々の功績を残してきた。
高校卒業後はガンバ大阪のトップチームに昇格を果たし、プロ1年目は全9試合に出場。2003年に10番を託され、2015年の現在に至るまで10番を着て活躍している。日本代表歴は2006年の10月4日に行われたキリンチャレンジカップのガーナ戦の1試合のみ。
フラメンゴやサントスFCなど、ブラジルのビッグクラブで活躍した経歴を誇るファビーニョ選手もガンバ大阪で10番を背負って活躍した名選手の一人だ。
ガンバ大阪に在籍したのは2002年の1シーズンのみだったが、その年のガンバ大阪は、過去最高の年間3位に入るなど、チームの躍進に大きく貢献した。
翌年の2003年シーズンでは再びブラジルのフラメンゴでプレーするも、2004年には再度、日本の清水エスパルスでプレーしている。
ガンバ大阪の中盤の司令塔として、2000年から2シーズンに渡り数多くの得点シーンを生んできたビタウ選手。在籍した2シーズンはいずれも10番を背負い、その背番号にふさわしい素晴らしいプレーでファンを魅了した。
ビタウ選手自身は2002年のシーズンも日本でプレーすることを望んだが、2001年シーズンに患った故障に泣かされ、止むを得ずブラジルに帰国した。
なお、2003年のシーズンでは念願叶って、J2のコンサドーレ札幌でプレーしている。
クルプニコビッチ選手は、ユーゴスラビア出身のミッドフィルダー。1997年から1998年の2シーズンをガンバ大阪で過ごし、2年とも10番を背負って活躍した。
ガンバ大阪以外にも、日本代表の清武弘嗣選手や山口螢選手、酒井宏樹選手らが現在所属するハノーファー96やジェフユナイテッド千葉・市原でプレーした経歴もある。184センチの長身ながら足元のプレーに定評のある選手で、ガンバ大阪時代も司令塔として活躍していた。
フランスリーグのSCバスティアからのレンタルでガンバ大阪に移籍したピオトル選手。ガンバ大阪時代は16試合に出場し2得点を挙げた中盤のプレイヤーだ。
ポーランド代表経験も豊富で、1992年にバルセロナで開催されたオリンピックでは準優勝という成績を収めている。また、2002年に日本と韓国で共催されたワールドカップにも選手として出場しており、成績こそ1勝2敗のグループ最下位という結果に終わったが、ベスト8まで勝ち進んだアメリカ合衆国に勝利している。
ここ10年以上は二川選手が10番を背負っているが、それ以前には数多くの名プレイヤーが10番を着て活躍してきた。二川選手は今年で36歳を迎える。近い将来、二川選手の10番を受け継ぐ選手は現れるのだろうか? 今後のガンバ大阪の10番争いにも要注目だ。