ユンカー、ショルツ、モーベルグがゴール競演
浦和レッズの「北欧三銃士」が3月19日の第5節ジュビロ磐田戦で初めて共演し、ゴールショーを披露した。
ケガで出遅れたFWキャスパー・ユンカー(デンマーク)が今季初先発&初得点。続いて守備の柱・DFアレクサンダー・ショルツ(デンマーク)がPKキッカーを務めて加点。さらに新10番、MFダヴィド・モーベルグ(スウェーデン)が後半頭に途中出場し、DF3人を翻弄する突破から鮮烈デビュー弾を決めた。
浦和は4-1で大勝。開幕序盤は得点力不足を嘆いたチームに、光明が差し込んだ。
ただ、ふと気になったのは3人の出身地が「北欧」であること。Jリーグ(J1)の30年の歴史で、彼らを含めて北欧国籍の選手は計16人しかおらず、3人同時に在籍したクラブは、浦和が初。レアケースになるわけで、北欧トリオの勇躍がこのまま続くどうかは未知数だ。そこで、過去に来日した北欧勢がJの舞台で活躍できたのか、ポジションごとに振り返る。
ショルツが北欧勢CBの活躍の端緒を開く
北欧出身DFは4人のみ。Jリーグ黎明期にサンフレッチェ広島に所属したセンターバックのフォンデルブルグは元代表選手で、守備の軸として期待された。2シーズン制だった93年、計36試合中21試合に出場するも、ヒザにケガを抱えていたため、ベンチを温めることも多く、わずか1年でチームを去った。
同じく広島のCBトーレは、94年夏に加入。元ノルウェー代表で、93-94年ノルウェーリーグ最優秀DF賞という肩書があったものの存在感を示せず、来日から1年も経たないうちに契約解除となる。
名古屋グランパスのCBオーマンは、これといった実績もなく16年に来日し、J2に降格した16年シーズンの名古屋で、9試合しか出番がなかった。
唯一サイドバックの元スウェーデン代表、ミエル・サロモンソンは、来日1年目の19年こそ、サンフレッチェ広島で不遇をかこったが、翌年は移籍先のJ2アビスパ福岡で、J2 のアシスト王(10点)に輝き、J1昇格に貢献した。福岡2年目はチーム最多の6アシスト、クロス数チーム1位の数字を残し、惜しまれながら退団した。
サンプル数は少ないが、CBで実績を残した北欧出身選手はまだいない。しかしながら、20-21年デンマークリーグMVPのCBショルツは、昨年5月より浦和に加わり、すぐさまチームに順応。今季も守備ではタックル成功率83.3%を誇り、対人に強く、カバーリングも的確。ボールを持てば、1試合平均5.4本(成功率65.8%)のロングパスを織り交ぜ、状況に応じたインテリジェンスな配球が光る。
今年で30歳、これから円熟味も増すだけに、実力的にはベストイレブンに選出されてもおかしくない。
モーベルグが“野心”でユングベリ超えへ
MFでは、ミカエル・ラウドルップとフレドリック・ユングベリの超大物2人が来日している。ラウドルップは、80年代~90年代前半にユベントス、バルセロナ、レアル・マドリードの超名門をわたり歩き、トヨタカップや欧州制覇を成し遂げた技巧派ドリブラー。96年、32歳でレアルから旧JFL(当時はJリーグの2部に相当)のヴィッセル神戸へ移籍した際には、衝撃が走った。
だが、世界的ビッグネームでもJリーグでは、3試合出場0得点と輝けなかった。昇格後の97年シーズン、3節に負傷でリタイアするとケガの治療が長引き、そのままあっさり退団…。同年途中にオランダのアヤックスへ移籍した。
フレドリック・ユングベリは、アーセナルで名を馳せたサイドアタッカー。03-04年のプレミアリーグ無敗優勝の伝説をつくった黄金期のメンバーでもある。しかし、34歳で加入した清水エスパルスでは、ラウドルップと同じくケガの影響もあり、11年8月からの約半年で契約解除の憂き目に遭う。8試合出場0得点に終わった。
96年に欧州選手権に出場した浦和のブライアン・ニールセン、93年の広島でコーチ兼選手だったヨンソンの両ボランチも、わずか1年でお役御免に。ただし、ヨンソンは95、96年にも旧JFLの神戸でプレーしている。
このようにMFにおいても、活躍した北欧出身選手はいない。まだ磐田戦でお披露目されただけのモーベルグだが、タイプ的にはサイドから個人技でゴリゴリ仕掛けるユングベリに近いと思われる。
ただ、欧州でキャリアを謳歌し、晩年に来日した同郷の先輩に対し、28歳のモーベルグは欧州4大リーグでのプレー経験がなく、代表復帰も狙っているはず。野心を抱くレフティーの日本からのアピールが、浦和の昇華につながりそうだ。
ユンカーは夏バテ&ケガを乗り越えるか?
FWで母国代表歴があるのはノルウェー人の3人。名古屋と清水で5年間プレーしたフローデ・ヨンセンのほか、現役選手では湘南ベルマーレのタリクと徳島ヴォルティスのムシャガ・バケンガがいる。タリクは代表で10番を背負ったこともある34歳のベテラン、バケンガは昨季J1で9試合1得点の黒人アタッカーだ。
190㎝の長身FWイバは、フットサルの元ノルウェー代表選手。フィジカルとヘッドが強く、足元のスキルも高かったが、20年J1では1得点止まり。187㎝のヨンセンと199㎝のシモビッチも同じタワー系FWで、ポストプレーヤーとしての役割も担った。
ヨンセンは、名古屋在籍中の06~08年に3年連続二桁得点を挙げたのを含め、日本での計5年間で143試合出場・52得点と結果は悪くない。ただ、守備もサボらず真面目に走るせいなのか、毎年シーズン中のどこかでコンディションを落とし、得点王争いに絡む年は一度もなかった。
名古屋所属時代にJ1で戦ったシモビッチも、16年の第1ステージこそ16試合9得点のハイペースだったが、徐々に下降線をたどる。8月の練習中に全治2~3週間のケガを負ったマイナス要因も重なり、第2ステージでは13試合2得点と低調だった。
平均気温15℃前後の北欧の選手にとって、真夏に試合を行うJリーグで、高パフォーマンスを維持するのは難しいのかもしれない。
浦和のユンカーも、コンディション維持には苦戦している様子。移籍1年目の21年5月からの2カ月間は公式戦13試合10得点と猛威を振るうも、右頬の骨折などのケガに悩まされる。夏場以降は控えに回る機会も増え、リーグ後半戦は2点しか奪えなかった。
今季も慢性的なグロインペイン(脚の付け根の痛み)を引きずり、調整が遅れて先の磐田戦でようやく先発復帰したばかり。くだんの磐田戦で示した通り、試合に出れば、クレバーな動き出しを下地に多彩なパターンでゴールを陥れるだけに、点取り屋の体調が浦和の浮沈の鍵を握る。
こうして北欧Jリーガーの変遷を辿ってみると、元代表クラスでも日本でスターダムにのし上がることがいかに難しいか分かる。そして30年の歴史の中で、リーグ(J1)優勝経験者、ベストイレブン受賞者に、北欧出身の選手は誰一人としていないのだ。
前節こそ快勝した浦和だが、序盤戦で2勝1分け4敗とつまずいた。ショルツ、モーベルグ、ユンカーは反撃の狼煙を上げ、北欧Jリーガー初のタイトル奪取に挑む。
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