開幕アビスパ福岡戦でJ1リーグ通算642試合出場
2月19日に行われたJ1リーグの開幕戦で、背番号50を背負うその男は当たり前のように先発メンバーに名を連ねていた。
J1リーグの最多出場記録を独走する遠藤保仁。これで、プロ入りしてから現在まで、23年連続で開幕スタメンを飾ったことになる。
ジュビロ磐田の中盤の一角に陣取った彼は、89分間プレーして劇的な同点劇に貢献した。
これで横浜フリューゲルスに入団したばかりのプロ1年目、1998年の開幕戦から積み重ねてきたJ1リーグでの出場数は642となっている。
さらにJ2リーグで83試合、日本代表として152試合、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)で59試合。この他にも天皇杯やヤマザキナビスコカップ、年代別日本日本代表など全ての公式戦出場を合わせると1000を超える。
なぜ遠藤保仁は42歳になった現在でも、試合に出場し続けられ、J1リーグでの出場記録を更新できているのだろうか。
J1リーグでの出場を積み重ねられている理由
類まれなるサッカーの才能に恵まれていることは、紛れもない事実だろう。
遠藤は止める蹴るという、サッカーの基本ながら何より大事な技術が極めて高く、そこから繰り出されるパスの精度が優れている。代名詞の1つである“コロコロPK”に代表されるように、常に落ち着き払ってもいる。
また監督に信頼されなければ試合に出場することはできないため、遠藤が23年間に指導を受けた全ての監督から高い評価を受けてきたことは間違いない。だからこそ今の数字がある。
ただ、才能だけならば凄いものを持っている選手は他にも大勢いる。日本代表において“遠藤の後継者”として期待された選手は何人も存在するが、現時点で本家を超えた選手は現れていない。
遠藤とそれらの選手の大きな違いは、“監督に合わせすぎない、無理はしない”ことではないか。
当たり前だが、選手は試合に出たい。試合に出るためには監督の求めることを最優先に考えがちになる。そのため監督が代わるたびに、少しずつプレースタイルを変化させていく。
一方、遠藤のプレースタイルはどうだろうか。日本代表として出場を重ねていた頃と現在でほとんど差は見られない。日本代表、ガンバ大阪、ジュビロ磐田のほとんどのサポーターが同じようなイメージを抱くはずだ。
2020年の序盤戦、宮本恒靖監督率いるガンバ大阪は堅守速攻を武器としていた。ボールに数多く触ってリズムを作るタイプである遠藤は、開幕戦から2試合続けてスタメン出場したものの、徐々に出場時間を減らした。
それでも遠藤は、無理にプレースタイルを変えようとはしなかった。現実を受け入れながら、自分のベストを尽くし、チャンスを待つ。淡々としているように感じるが、自分のプレーを誰よりも理解しているからこそ、後半戦にジュビロ磐田へと期限付き移籍すると瞬く間に必要不可欠な存在となれたのだろう。
加えて、大きな怪我をしないという才能に恵まれてもいる。ウイルス性肝炎が原因で1ヶ月を超える離脱をしたことはあっても、怪我が原因で長期間ピッチから離れるたことはほとんどない。
人に見せない小さな怪我や痛みはあっても、遠藤は付き合い方をよく知っているため無理をすることはない。
スプリントをせずに中盤を支配する
Jリーグが試合ごとの総走行距離とともに、時速24キロ以上のスピードで1秒以上走った回数を示すスプリント回数を公開しているように、近年のサッカー界ではスピード感が重視されている。
しかし、遠藤はそれとは対極に位置する。アビスパ福岡との開幕戦では、89分間のプレーでスプリント回数はわずか1回。第1節にスタメン出場したJ1全チームのフィールドプレーヤーの中で、チームメイトの大井健太郎と並んで最少の数字た。
一方で総走行距離は10.2kmでチームで4番目、パスの本数は73とジュビロ磐田の中盤の選手でトップ。パス成功率は83.6%、前方パス成功率は80.6%とこちらも非常に高い。
先を読むことができれば、無理にスプリントしなくてもゲームを作れる。そんな遠藤らしさを感じるスタッツだった。
劇的な同点劇によって、J1に戻ってきたジュビロ磐田は悪くないスタートを切った。
その中盤に君臨する遠藤保仁は、誰も到達したことのないJ1リーグ650試合出場、そして未知の領域へ、自分なりのペースで走り続ける。
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