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サッカー日本代表で背番号16を背負った歴代の名選手たち

2022 10/29 06:00SPAIA編集部
山口蛍,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

サッカーで背番号16をつける意味とは?

サッカーでは背番号によってポジションや役割のイメージがある。ただ、それは11番までのレギュラー番号で、12番以降の番号に特定のポジションのイメージがついていることは少ない。裏を返せば、特定の選手が長く背負っていると、その選手のイメージが定着することがある。

背番号16はゴールキーパーが背負うこともあり、ポジションのイメージは薄い。選手ではマンチェスター・ユナイテッドなどで活躍したロイ・キーンや、「ドーハの悲劇」の際の中山雅史らの印象が強いのではないか。日本代表で16番を背負った主な選手を紹介する。

サッカー日本代表背番号16:DFとして活躍した斉藤俊秀

斉藤俊秀は1973年、静岡県出身で、清水東高から早稲田大を経て1996年に清水エスパルスに加入。その後湘南ベルマーレへの期限付き移籍を経て、2009年に藤枝MYFCへ移籍した。2013年に現役を引退するまでJ1で通算244試合に出場している。

日本代表には1996年から1999年まで召集され、国際Aマッチ通算17試合に出場。日本が初出場した1998年のフランスワールドカップでは16番を背負った。

サッカー日本代表背番号16: ボランチとして活躍した中田浩二

中田浩二は1979年、滋賀県で生まれ、帝京高時代に冬の全国選手権で準優勝。1998年に鹿島アントラーズでプロとしてのキャリアをスタートさせた。

2005年にはフィリップ・トルシエが監督をを務めていたフランスのオリンピック・マルセイユ、翌2006年にはスイスのFCバーゼルに移籍。2008年には再び鹿島アントラーズに復帰し、2014年に引退するまでJ1通算266試合33得点の成績を残した。

日本代表では、2002年の日韓共催ワールドカップに背番号16で出場。2006年のドイツワールドカップでは背番号6だった。国際Aマッチ通算57試合に出場している。

サッカー日本代表背番号16:快足FW大黒将志

大黒将志は1980年に大阪府で生まれ、1999年にガンバ大阪ユースからトップチームに昇格。フランスのグルノーブルやイタリアのトリノでもプレーし、帰国後は東京ヴェルディや横浜F・マリノス、京都サンガなどをわたり歩いた。J1通算204試合69得点、J2では通算260試合108得点をマークしている。

日本代表では2006年のワールドカップドイツ大会に背番号16で出場。国際Aマッチ通算22試合で5得点を挙げている。俊足と高い得点力を誇るフォワードらしいフォワードだった。

サッカー日本代表背番号16:J1最多得点の大久保嘉人

大久保嘉人は1982年に福岡県で生まれ、長崎・国見高時代に全国制覇。2001年にセレッソ大阪に加入後は、海外や日本のクラブをわたり歩き、2021年に復帰した古巣・セレッソ大阪で現役生活に別れを告げた。川崎フロンターレ時代に3年連続得点王に輝くなど、J1通算477試合でマークした191得点は史上最多記録となっている。

日本代表には2003年から招集され、2010年のワールドカップ南アフリカ大会に背番号16で出場。国際Aマッチ通算60試合出場で6ゴールを挙げている。高い得点能力が特長で、日本最強のストライカーと評価されるなど人気、実力ともに折り紙付きだった。

サッカー日本代表背番号16:攻守で活躍の山口蛍

山口蛍は1990年に三重県で生まれ、セレッソ大阪ユースから2009年にトップチーム昇格。2015年12月にドイツのハノーファー96に移籍したが、半年でセレッソ大阪に復帰し、2019年からヴィッセル神戸でプレーしている。豊富な運動量とタイトなマークで攻守に存在感を発揮している。

日本代表では2014年のブラジル大会、2018年のロシア大会と2度のワールドカップに背番号16で出場。国際Aマッチ通算48試合に出場している。

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