サッカーで背番号15をつける意味とは?
サッカーにおいて、背番号は選手のポジションを表すことが多い。フォーメーションにもよるが、ゴールキーパーの1番からポジション位置がフィールド中央に近づくにつれて数が増えていく。
そうだとすれば背番号15にはどのような意味があるのだろうか。サッカーは1チーム11人で行われることから、15番は補欠の選手がつけることの多い番号とも言うことができる。もちろん背番号15をつけて大活躍する選手は存在するし、自ら15番を選ぶレギュラー選手もいるだろうが、番号自体に大きな意味はないようだ。
サッカー日本代表背番号15:ミスターセレッソ森島寛晃選手
森島寛晃選手は1972年に生まれ、1991年に当時のヤンマーディーゼル(現セレッソ大阪)に入団した。その後、2008年に引退するまで同一チームでプレー。セレッソ大阪の象徴的存在として、ミスターセレッソと呼ばれる。
日本代表としては、1995年から国際試合に出場しており、2002年までで通算64試合に出場し、12ゴールを挙げている。
サッカー日本代表背番号15:愛称は「フク」福西崇史選手
1976年生まれ、愛媛県出身の福西崇史選手。主にミッドフィルダーとして活躍し、1995年に入団したジュビロ磐田からFC東京、東京ヴェルディと渡り歩いた。2009年に現役引退している。
1999年から日本代表としてプレーしており、2006年まで64試合に出場し、7得点を挙げている。2002年や2006年に行われたワールドカップでは背番号15をつけてプレーした。
サッカー日本代表背番号15:鉄人と呼ばれた今野泰幸選手
1983年に宮城県仙台市で生まれた今野泰幸選手。ミッドフィルダーやディフェンダーとして活躍している。
プロとしてのキャリアは、2001年のコンサドーレ札幌からスタートしており、FC東京に移籍後2012年からガンバ大阪でプレーしている。
日本代表としては、2005年から2015年で通算87試合に出場。2010年や2014年のワールドカップなど国際試合では、背番号15をつけてプレーしていた。
サッカー日本代表背番号15:ドリブル武器の奥大介選手
1976年、兵庫県出身の奥大介選手は、1994年からプロとしてのキャリアをスタートさせた。ジュビロ磐田でデビューした後、横浜F・マリノス、横浜FCと渡り歩き2007年に現役引退している。ポジションはミッドフィルダーで試合終盤になってもスピードあふれるドリブルを武器に活躍した。
日本代表としては、1998年から2004年にかけて国際Aマッチ26試合に出場しており、2ゴールを挙げている。2000年に行われたアジアカップで背番号15を付けていた。
サッカー日本代表背番号15:「半端ない」大迫勇也選手
大迫勇也選手は1990年、鹿児島県出身で、鹿児島城西高時代に冬の選手権で10ゴール10アシストを挙げて準優勝に貢献。敗れた滝川第二の選手が試合後に「大迫、半端ないって」と実力に驚嘆した様子が話題を呼んだ。
プロ入り後は鹿島アントラーズで5シーズンプレーし、2014年にドイツのブンデスリーガTSV1860ミュンヘンへ移籍。1.FCケルン、ヴェルダー・ブレーメンと渡り歩き、2021年にヴィッセル神戸入りして7年半ぶりのJリーグ復帰となった。日本代表では2018年のロシアW杯に出場している。
日本代表で背番号15をつけた歴代の選手たちは、得点を決めるエースストライカーというよりは、いぶし銀のプレーが光る選手が多い印象だろうか。背番号に注目してサッカー観戦をしてみるもの楽しいかもしれない。
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