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サッカー日本代表で背番号14を背負った歴代の選手を紹介

2022 1/30 19:35SPAIA編集部
伊東純也,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

サッカーで背番号14をつける意味とは?

サッカーでは歴代の名選手が使用した番号に憧れて、その後も同じようなタイプの選手がつけることがある。古くは「サッカーの神様」と呼ばれたペレがつけていた影響で、10番を背負う選手はチームのエースであるという認識が浸透した。

そういう視点で背番号14を見てみると、オランダの英雄、ヨハン・クライフがつけていた背番号という印象が強い。ヨハン・クライフがテクニシャンだったこともあり、背番業14をつける選手は技術的に長けているというイメージもある。

サッカー日本代表背番号14:「野人」岡野雅行

岡野雅行は1972年、神奈川県出身で、そのスピーディーで荒々しいプレイスタイルから現役時代は「野人」というニックネームで呼ばれていた。

プロとしてのキャリアは1994年の浦和レッズからスタート。その後、ヴィッセル神戸、浦和レッズ、ガイナーレ鳥取と渡り歩き、2013年に引退した。

日本代表としては1995年から1999年にかけて国際Aマッチ25試合に出場しており、1997年11月にマレーシアのジョホールバルで行われた、イランとのW杯アジア第3代表決定戦で決勝ゴール。日本代表が悲願のW杯初出場を決め、「ジョホールバルの歓喜」と語り継がれている。1998年のフランスW杯にも背番号14をつけて出場した。

サッカー日本代表背番号14:日本に帰化した三都主アレサンドロ

三都主アレサンドロは、1977年ブラジルに生まれた。父親がプロのサッカー選手だったこともあり、16歳でプロデビューを果たした。

その後、留学生として明徳義塾高に入学し、1997年に清水エスパルス入りして日本でプロのキャリアをスタートさせた。浦和レッズやオーストリアのザルツブルク、名古屋グランパスなどを渡り歩き、最後はブラジルに帰国してプレイし、ユニフォームを脱いだ。

日本代表としては2002年の日韓共催W杯や2006年ドイツW杯に背番号14を背負って出場している。

サッカー日本代表背番号14:川崎フロンターレ一筋の中村憲剛

中村憲剛は1980年に東京都で生まれ、東京都立久留米高から中央大を経て2003年に川崎フロンターレでプロデビューを果たした。その後、2020年に引退するまでフロンターレでプレイを続けた。引退後はフロンターレのFRO(Frontale Relations Organizer)に就任している。

日本代表としては国際Aマッチに68試合出場して6得点。2010年の南アフリカW杯に背番号14を背負って出場している。

サッカー日本代表背番号14:サンフレッチェ広島で活躍中の青山敏弘

青山敏弘は1986年に岡山県で生まれ、フィギュアスケートの髙橋大輔と幼馴染み。作陽高から2004年にサンフレッチェ広島に加入後、現在に至るまで同チームでプレイを続けている。2022年で36歳となるが、豊富な運動量で攻撃と守備をこなすMFだ。

日本代表としては国際Aマッチに12試合出場して1得点。背番業14を背負っていたのは、2014年にブラジルで行われたW杯だった。

サッカー日本代表背番号14:セレッソ大阪に復帰した乾貴士

乾貴士は1988年に滋賀県で生まれ、「セクシーフットボール」の異名を取った野洲高時代に冬の選手権で優勝。卒業後に横浜F・マリノスへ加入し、2008年にセレッソ大阪へ移籍すると香川真司と息の合ったプレーでファンを魅了した。

2011年からボーフムやフランクフルトなど独ブンデスリーガでプレー。2021年8月にセレッソ大阪に復帰し、2022年からクラブのエースナンバー「8」を背負っている。

日本代表では国際Aマッチ36試合6得点。2018年のロシアW杯に背番号14で出場した。

そして現在の日本代表で14を背負うのが伊東純也。2022年カタールW杯へ導く活躍ができるか、背番号14に注目だ。

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