背番号4の意味とは
サッカーの背番号は元々はポジションを表すものだった。背番号が導入された20世紀初頭は2―3―5のフォーメーションが主流だったため、ゴールキーパーの1番から右バックに2番、左バックに3番と割り当てていき、左ウイングの11番まで定めていた。現在もセンターフォワードに9番が多いのはその名残りだ。
かつては2バックだったため背番号4はライトハーフの番号だったが、3バックや4バックの現在ではDFが背負うことが多い。ただ、日本代表の4番はDF以外も背負うことの多かった番号だ。歴代の日本代表で4番を背負った主な選手を紹介しよう。
森岡隆三
日本代表の背番号4といえば森岡隆三を挙げる人も少なくないかも知れない。1994年に鹿島アントラーズに加入したが、森岡が評価を高めたのは清水エスパルスに移籍してからだ。
日本が初出場したフランスワールドカップで4番を背負った井原正巳の後継者として日本代表に召集され、フィリップ・トルシエ監督の「フラット3」に欠かせない選手として2002年の日韓共催ワールドカップに出場。国際Aマッチ通算38試合に出場した。
Jリーグでは京都サンガ移籍後の2008年まで現役を続け、引退後は京都のU-18やガイナーレ鳥取の監督を務めた。
遠藤保仁
遠藤保仁は背番号7のイメージが強いかも知れないが、2006年のドイツワールドカップは中盤の選手ながら4番を背負った。鹿児島実から加入した横浜フリューゲルスが消滅し、京都パープルサンガを経て2001年に移籍したガンバ大阪では約20年間、中心選手として君臨。42歳となった現在もジュビロ磐田でプレーしている。
日本代表では2010年の南アフリカワールドカップ、2014年のブラジルワールドカップにも出場し、歴代最多の国際Aマッチ通算152試合に出場した。南アフリカ大会とブラジル大会は背番号7だった。
田中マルクス闘莉王
2010年の南アフリカワールドカップで4番を背負ったのが「闘将」田中マルクス闘莉王だ。ブラジルで生まれ育ったが、1998年に来日して渋谷幕張高に留学。2001年にサンフレッチェ広島に加入すると、水戸ホーリーホック、浦和レッズ、名古屋グランパス、京都サンガで攻守に活躍した。
2003年に帰化して日本国籍を取得。2006年にイビチャ・オシム監督率いる日本代表に召集され、DFながら高い得点力を誇った。国際Aマッチ通算43試合で8得点の成績を残している。
現在は故郷ブラジルで牧場を経営。自身のYouTubeチャンネルで情報発信も行っている。
本田圭佑
本田圭佑も日本代表で4番を背負った代表的な選手の一人だ。星稜高から加入した名古屋グランパスでプロデビューし、オランダのVVVフェンロ、ロシアのCSKAモスクワ、イタリアのACミランなど海外クラブでプレー。無回転フリーキックなどのプレー面以外でも、派手な言動で常に世間の注目を集めた。
日本代表では2010年の南アフリカワールドカップに背番号18で出場。2014年のブラジルワールドカップと2018年のロシアワールドカップは4番を背負って出場した。国際Aマッチ通算98試合で37得点をマークしている。
現在はカンボジア代表を指導しながら、サッカーだけでなくビジネスマンとしても幅広く活躍している。
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