サッカーにおける背番号3の役割とは
サッカーの背番号は元々ポジションを示すものだった。背番号制度が導入された20世紀初頭は2-3-5のフォーメーションが主流で、GKから1番、右バックに2番、左バックに3番と割り振っていき、左ウイングの11番まで順に定めていた。
現在もその名残りで3番はDFが背負うことが多い。日本代表で3番を背負ってきた名選手を紹介する。
サッカーの背番号は元々ポジションを示すものだった。背番号制度が導入された20世紀初頭は2-3-5のフォーメーションが主流で、GKから1番、右バックに2番、左バックに3番と割り振っていき、左ウイングの11番まで順に定めていた。
現在もその名残りで3番はDFが背負うことが多い。日本代表で3番を背負ってきた名選手を紹介する。
松田直樹は1995年に横浜マリノスに加入し、1年目から33試合に出場。1996年アトランタ五輪に当時日本サッカー史上最年少の19歳4カ月で出場した。A代表では2002年の日韓共催ワールドカップに出場し、ベスト16入りに貢献。国際Aマッチ通算40試合に出場した。
横浜F・マリノスでは2010年まで16年間プレー。J1通算385試合に出場した。戦力外通告を受けて2011年は松本山雅に移籍。同年8月、練習中に急性心筋梗塞で倒れ、8月4日に帰らぬ人となった。まだ34歳だった人気選手の突然の死にサッカー界全体が悲しみに包まれた。横浜F・マリノスでは背番号3が永久欠番となっている。
駒野友一は2000年にサンフレッチェ広島に加入し、2008年にジュビロ磐田へ移籍。さらにFC東京、アビスパ福岡と所属を変えながらMFやサイドバックとして活躍した。
日本代表では2006年のドイツワールドカップ、2010年の南アフリカワールドカップに出場。国際Aマッチ通算78試合に出場した。41歳となった現在もJ3のFC今治でプレーしている。
日本人の父親とドイツ人の母親を持つ酒井高徳は、2009年にアルビレックス新潟でJリーグデビュー。2011年12月にドイツのシュトゥットガルトに移籍し、2015年からハンブルガーSVでプレーした。ドイツで約8年間プレーし、2019年8月にヴィッセル神戸入りしている。
日本代表では2014年のブラジルワールドカップ、2018年のロシアワールドカップに出場。国際Aマッチ通算42試合に出場した。
谷口彰悟は熊本県出身で、大津高から筑波大を経て川崎フロンターレに加入。2017年からの5年間で4度優勝したフロンターレのセンターバックとして活躍している。
日本代表には2015年に初選出。2022年のカタールワールドカップ・アジア最終予選でも日本の7大会連続出場に貢献した。
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