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サッカー日本代表で背番号2を背負った歴代の名選手、背番号2の意味とは?

2022 10/24 06:00SPAIA編集部
阿部勇樹,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

サッカーにおける背番号2とは?

サッカーの背番号はある程度、ポジションのイメージがある。ゴールキーパーの1番からDF、MF、FWの順に番号が大きくなるのが一般的だ。

背番号が導入された20世紀初頭は2-3-5のフォーメーションが主流で、右バックは2番、左バックは3番と順に割り当て、左ウイングの11番まで定めていた。歴代の日本代表で背番号2をつけた主な選手を紹介する。

名良橋晃

日本が初めて出場した1998年のフランスワールドカップで背番号2をつけたのが名良橋晃だった。

ベルマーレ平塚時代の1994年にJリーグデビューし、1997年から鹿島アントラーズで10シーズンプレー。湘南ベルマーレに復帰後の2008年に引退するまでJ1リーグ通算310試合に出場した。

日本代表では右ウイングバックとしてフランスワールドカップ全3試合に出場。国際Aマッチ通算38試合に出場した。

阿部勇樹

阿部勇樹はジェフユナイテッド市原時代の1998年に当時の最年少記録となる16歳333日でJリーグデビュー。翌1999年には30試合に出場し、初ゴールも決めた。

日本代表では2010年の南アフリカワールドカップに出場。全試合スタメンで決勝トーナメント進出に貢献した。

ワールドカップ終了後、浦和レッズからイングランド2部のレスター・シティに移籍。2012年に浦和に復帰すると、40歳となる2021年まで現役を続けた。DFもMFもこなし、高い守備力を誇った。

内田篤人

内田篤人は鹿島アントラーズで名良橋晃から背番号2を引き継いだ。2007年からチームはJリーグ3連覇を達成。史上初の勲章を手土産に2010年7月にドイツのシャルケ04へ移籍した。

日本代表では2010年の南アフリカワールドカップメンバーに背番号6で選出されたが、出場なし。2014年のブラジルワールドカップには背番号2で全試合スタメンフル出場した。国際Aマッチ通算74試合に出場している。

鹿島復帰後の2020年に引退。現在はテレビ朝日「報道ステーション」のスポーツコーナーでも活躍している。

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