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サッカー日本代表で背番号1を背負った歴代の名選手、背番号1の意味とは?

2022 10/26 06:00SPAIA編集部
川島永嗣,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

背番号1は守護神の証

サッカーの背番号1は誰でもつけられる番号ではない。守護神とも呼ばれる正ゴールキーパーがつけることを許される番号だ。

背番号が導入された20世紀初頭、当時主流だったフォーメーションが2-3-5。ゴールキーパーの1番から順に、右バック、左バック、右ハーフ、センターハーフ、左ハーフと割り振っていき、左ウイングの11番まで固定されていた。

その後、サッカーの発展や技術向上にともない、3バックや4バックなどシステムも多様化してきたが、GKだけは変わっていない。いわば、背番号1は不動の守護神の証でもあるのだ。歴代日本代表の主な背番号1を紹介する。

松永成立

松永成立はJリーグ創設前の日産自動車で木村和司、水沼貴史らとともに活躍。Jリーグ誕生後も横浜マリノスで守護神を務めた。その後、鳥栖フューチャーズ、ブランメル仙台、京都パープルサンガとわたり歩き、2000年に引退した。

日本代表としてはソウル五輪アジア予選や1989年のイタリアワールドカップ予選に出場。1993年に行われたアメリカワールドカップのアジア最終予選では「ドーハの悲劇」を経験した。初のワールドカップ出場が目前に迫りながら、終了間際に松永の頭上を通過したボールがゴールマウスに吸い込まれたシーンは今でも語り草だ。国際Aマッチ通算40試合に出場している。

川口能活

川口能活は清水商時代にスターGKとして選手権制覇に貢献。1994年、横浜マリノスに加入し、2001年にはイングランド2部のポーツマスFCに移籍した。デンマークのFCノアシェランを経て2005年からジュビロ磐田に加入。FC岐阜、SC相模原とわたり歩き、2018年に引退した。

日本代表としては1998年のフランスワールドカップから2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会に選出。背番号1で出場したのは日韓大会だけだったが、国際Aマッチ通算116試合に出場している。

楢崎正剛

楢崎正剛は奈良育英高から横浜フリューゲルスに加入し、チーム消滅に伴い名古屋グランパスエイトへ移籍した。2000年からは14シーズン連続でキャプテンを務めるなど中心選手として活躍。2018年シーズン限りで引退するまで遠藤保仁に次いで歴代2位のJ1通算631試合に出場した。

日本代表では1998年のフランスワールドカップのメンバーに選ばれたが出場なし。2002年の日韓大会では川口能活に代わる正GKとして全試合に出場した。2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会は選出されたものの出場機会はなかった。国際Aマッチ通算77試合に出場している。

川島永嗣

川島永嗣は浦和東高から大宮アルディージャに加入し、名古屋グランパスエイト、川崎フロンターレを経て2010年にベルギーのリールセSKに移籍した。その後もスコットランドやフランスでプレーし、現在はストラスブールに所属している。

日本代表では2010年の南アフリカワールドカップに背番号21をつけて出場し、楢崎に代わる正GKとして活躍した。2014年のブラジルワールドカップ、2018年のロシアワールドカップには背番号1で出場。国際Aマッチ通算95試合に出場している。

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