三笘や久保も代表入り、トルシエ監督率いるベトナムと初戦
サッカーのアジアカップは1月12日、カタールで開幕し、日本代表は2011年大会以来3大会ぶり5度目の優勝を目指す。
アジア王座奪還へ日本は左足首負傷を抱える三笘薫(ブライトン)や好調の久保建英(レアル・ソシエダード)遠藤航(リバプール)ら26人がメンバーに選出され、攻撃をけん引する伊東純也(スタッド・ランス)堂安律(フライブルク)らのほか、故障明けの冨安健洋(アーセナル)も代表入り。元日の国際親善試合でタイに5―0で快勝した日本は、国際Aマッチ9連勝で日本代表の最多記録を更新しており、勢いそのままに期待が高まりそうだ。
日本はアジアカップ1次リーグD組に入り、1月14日の初戦でベトナムと顔を合わせる。敵将は日本となじみ深いフィリップ・トルシエ監督。注目の因縁対決が実現する。
1月19日の第2戦でイラク、1月24日の第3戦でインドネシアと対戦。勝ち上がっていけば決勝は2月10日の日程で、約1カ月に及ぶ長丁場の戦いだ。
1次リーグは24チームが6組に分かれ、各組2位までと3位のうち成績上位4チームがベスト16による決勝トーナメントに進む。
これまで幾多の名勝負が生まれてきたアジアカップ。激闘の歴史を振り返ってみたい。
1992年大会(広島)=大会初優勝
1992年大会の日本はオフト監督の下、翌年にJリーグ開幕を控えて初優勝を遂げ、悲願のワールドカップ(W杯)初出場へ夢を膨らませた。「キング・カズ」こと三浦知良が大車輪の奮闘で大会MVPに選ばれた。
現在の日本代表を率いる森保一も守備的MFとして優勝に貢献。準決勝で中国を3―2で破ると、決勝では3連覇を目指したサウジアラビアに1―0で競り勝った。
前半に三浦の左からのクロスを高木琢也が決めて先制し、柱谷哲二主将を中心にしたDF陣がサウジの反撃を封じて頂点に立ち、サッカー人気を高める原点ともなった。
2000年大会(レバノン)=2度目の優勝
2000年大会の日本は2年後のW杯日韓大会を控えたフィリップ・トルシエ監督に率いられ、ユース年代強化が実を結んで2度目の栄冠に輝いた。
課題だった攻撃力も爆発し、6試合で21ゴール。名場面は準々決勝でイラクに4―1で快勝した試合だろう。中村俊輔のFKから名波浩が左足のダイレクトボレーで合わせたゴールは鮮烈な印象を残し、圧倒的な存在感でチームを鼓舞した。
準決勝は中国を3―2で振り切り、決勝はサウジアラビアに1―0で競り勝った。大会MVPは名波浩が選ばれた。
2004年大会(中国・北京)=連覇で3度目V
2004年大会の日本はジーコ監督の下、中村俊輔らを中心にチームの団結力を示し、中国人観客の反日応援もはね返して2連覇を達成した。
ハイライトは何と言っても薄氷の勝利となったヨルダンとの準々決勝だろう。1―1からPK戦に入り、先蹴りの日本は中村俊輔、三都主アレサンドロと芝に足を取られて2人連続で失敗。すると、主将の宮本恒靖が機転を利かせてレフェリーと交渉し、異例のエンド変更が成立。その後、GK川口能活が起死回生の神懸かり的な好セーブを連発し、勝利を手にした。
準決勝はバーレーンに4―3、決勝は中国に3―1で競り勝ち、2大会連続3度目の制覇を果たした。大会MVPは中村俊輔が選ばれた。
2011年大会(カタール・ドーハ)=史上最多4度目の優勝
2011年大会の日本はザッケローニ監督の下、エース本田圭佑、内田篤人らを擁して準々決勝でカタールを3―2、準決勝はPK戦の末にライバル韓国を倒して勝ち上がり、決勝は伝説のボレーシュートで幕を閉じた。
オーストラリアとの決勝は一進一退の攻防で0―0のまま延長へ。延長後半4分、長友佑都からの左クロスを李忠成が本能を研ぎ澄まし、歴史に残る美しい左足ボレーシュート。名GKシュウォーツァーが一歩も動けない完璧な一撃だった。
日本はGK川島永嗣も奮闘。この1点で決着を付け、史上最多4度目の優勝を達成した。大会MVPには本田圭佑が選ばれた。
2019年大会(UAE・アブダビ)=準優勝
前回2019年大会の日本は森保一監督の下、経験豊富な吉田麻也や長友佑都、司令塔の柴崎岳らを擁し、出場チームが24に拡大した大会で順当に勝ち上がった。
準々決勝は若手成長株の堂安律のPKでベトナムを1―0で下し、準決勝では大迫勇也の2ゴールなどでイランを3―0で振り切った。しかし決勝でカタールに1―3で屈し、2大会ぶりの王座奪還はならなかった。カタールは初優勝を遂げた。
森保監督は日本が初制覇した1992年広島大会に選手として貢献しており、2024年大会で監督としても優勝すれば初の快挙となる。
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