木村和司のFK弾もかすむ大敗
6月6日にサッカー日本代表がキリンチャレンジカップ2022でブラジル代表と対戦する。会場となる聖地・国立競技場での国際Aマッチは、改築前の2014年3月のニュージーランド戦以来、実に8年3カ月ぶりだ。
ただ、数々の名勝負が繰り広げられた旧国立の歴史を紐解くと、下記の表の通り、ワールドカップ優勝国との対戦では1分け5敗と一度も勝っていない。そこで、“聖地”の効力も粉砕された南米・欧州列強国との戦いを振り返る。
2度の世界一に輝いた古豪・ウルグアイとは、国立で2回対峙した。最初に戦った1985年は、FIFAワールドカップメキシコ’86アジア地区予選の真っただ中。日本は木村和司、水沼貴史の両テクニシャン、「アジアの核弾頭」原博実ら攻撃陣にタレントを擁し、1次予選を通過していた。
当時としては多い3万人の観客が訪れたゲームは、前半に木村の素晴らしいFKで先制。前半を1-1で終え、互角に近い戦いを演じたものの、後半はウルグアイが個人技で圧倒。岡田武史らの日本ディフェンスは徐々に疲弊し、1-4の逆転負けを喫する。
森保一の代表デビュー戦は惜敗
今からちょうど30年前の1992年5月。2度のワールドカップ王者であり、当時南米チャンピオンだったアルゼンチン代表が来日し、オフト監督就任初戦の日本代表との注目カードが実現。国立には6万人の大観衆が集まった。
アルゼンチンはバティストゥータ(フィオレンティーナ)、カニーヒア(ローマ)のセリエAを席巻した豪華2トップが共演。対する日本の2トップは三浦知良、中山雅史がコンビを組む。また、中盤の底には現代表監督の森保一が入り、代表デビューを果たした。
立ち上がりはアルゼンチンの速い攻撃に度肝を抜かれたが、次第に司令塔・ラモス瑠偉を起点に日本が速攻を仕掛けて、何度かスタンドを沸かせる。しかし、アルゼンチンは53分に日本の隙を突き、点取り屋バティストゥータが本領発揮。ゴール前で柱谷哲二、堀池巧の2人がかりのマークを振り切り、決勝点を叩き込む。その後、時差ぼけの影響もありアルゼンチンはペースダウンするも、日本の攻めを寄せ付けず逃げ切った。
20歳・小倉隆史が一矢を報いる
98年の自国開催のワールドカップで初優勝を遂げたフランスとは、4年前のキリンカップサッカー’94で相まみえる。日本は同大会で、ブラジル人のファルカンが初采配を振るった。
フランスはFIFAワールドカップアメリカ’94本番を見据え、フルメンバーで臨む。FWのパパン(ACミラン)とカントナ(マンチェスター・U)、MFデシャン(マルセイユ)らの豪華キャストが名を連ねた。
対する日本はFWカズ、MF柱谷哲二、DF井原正巳など前年に「ドーハの悲劇」を味わったメンバーを主軸に、攻撃的サイドバックの岩本輝雄や「レフティーモンスター」FW小倉隆史らの新戦力が加わる。
試合は開始早々からフランスが格の違いを見せつけ、55分までに4点を奪う。早々と勝負を決め、攻撃の手を緩めた相手に対し、日本は小倉が代表初得点で一矢を報いるのがやっとだった。
セレソンとの2戦は歯が立たず
翌年、1995年8月にはFIFAワールドカップアメリカ’94王者のブラジルと激突。ブラジルとは同年6月のアンブロカップ(イングランド)でも対戦しており、0-3で惨敗していた。
ホーム・国立での戦いは、5万3000人の歓声を味方に戦う。指揮を執ったのはファルカン解任後に後を継いだ加茂周監督。先発にはFWにカズと福田正博を選び、守備では相馬直樹や林健太郎などフレッシュなメンバーも抜擢した。
一方のブラジルイレブンは、GKジルマール(C大阪)、DFジョルジーニョ(鹿島)、MFのサンパイオとジーニョ(共に横浜F)、レオナルド(鹿島)、ドゥンガ(磐田)、FWにエジムンド(東京V)とJリーグ経験者が7人も占める。
「実力的には2ランクの違い」(加茂監督)のあるブラジルを相手に、日本は下がらず、前からプレッシャーをかける強気な姿勢で挑む。それが奏功したのが後半開始直後、カズがボール奪取し、一気呵成にゴール前まで迫る速攻から福田が得点。ただ、そのシーン以外では王国の技巧派たちは日本のプレスをほとんど苦にせず、得点を積み重ね5-1で圧勝した。
4年後、1999年3月のブラジルとの再戦。日本代表はトルシエ監督の時代となり、攻撃を担ったのは城彰二、ゴン中山の2トップと当時ペルージャ所属の中田英寿やレフティーの名波浩だ。
ブラジルとは国内外を含め5度目の対戦。約5万4000人の観客に見守られ、日本は初勝利を狙ったが、セレソンは若手主体とはいえ強かった。背番号10のリバウド(バルセロナ)、右サイドバックのカフー(ローマ)をはじめ、全員の技術が高く、日本は前後半で1点ずつを奪われ、組織的な守備の前に屈服。終盤に中田がスルーパスを右サイドへ通し、折り返したクロスを城が頭で合わせるなど攻め入る場面もあったが、決定機をつくるには至らなかった。
黄金カルテットが輝き古豪とドロー
2003年3月には、18年ぶりに国立でウルグアイ戦を迎える。当時はジーコジャパンで、2002年の日韓ワールドカップ後に始動したばかりの新チームだった。
5万4000人の観客のお目当ては、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一の「黄金のカルテット」。前半は彼らを軸に落ち着いたゲーム運びを見せるも、鋭いカウンターから当時マンチェスター・U所属のフォルランに先制点を奪われる。
日本もPKを獲得し中村が冷静に決めて同点とするも、セットプレーから再び失点。後半はペースの落ちたウルグアイを尻目に日本が攻勢に出る。57分、稲本がミドルを突き刺し同点に。だが、欧州組の中村、小野のケガや体調を考慮し、ハーフタイムに2人同時に下げて温存したこともあり、もうひと押しが足らず引き分けに終わる。
あれから19年の間に、SAMURAI BLUEはワールドカップ本大会の常連国となり、経験の引き出しは確実に増えている。W杯優勝国との実力差がどのぐらい縮んだのか、試金石となる今回のブラジル戦は興味が尽きない。無論、「国立競技場でW杯出場国に勝てない」ジンクスを新国立で破るのがベストだ。
【関連記事】
・日本に追い風?サッカーW杯優勝経験国が同組の場合「両雄並び立たず」
・サッカー日本代表の歴代ワールドカップメンバーと試合結果
・前園真聖がサッカー界で残した功績「マイアミの奇跡」もたらしたドリブラー