プロ1年目はジョーカー、2年目はキングに
カタール・ワールドカップ本大会出場を決めた日本代表の論点の一つになっているのが、「三笘薫の起用法」。俊英ドリブラーを先発で起用すべきか、スーパーサブとして使うべきかが話題になっている。
そこで川崎フロンターレ時代、ユニオン・サンジロワーズの試合、U-24代表&A代表戦の先発、途中出場別にゴール・アシスト数をまとめてみた。
川崎Fでの1年目は、先発11戦・途中出場19戦とサブ起用が多かった。しかも途中出場のうち、9戦は後半頭からピッチに立ち、45分間プレー。20年7月22日に46分間プレーした仙台戦も含めれば、途中出場の半数以上が0.5試合をこなしている。
この珍しい“ハーフマッチ起用”は、コロナ禍初年度による超過密日程と、5人交代のレギュレーションが導入されたためだろう。川崎Fは後半からジョーカーとして三笘を投入し、ギアチェンジを図った。事実、チーム総得点は前半が30点なのに対し、後半は58点と圧倒的に多い。それが三笘個人の途中出場8得点の数字にも表れた。
2年目はシーズン前から「90分走れる選手じゃないといけない」(三笘)と先発にこだわり有言実行。欧州へ旅立つまでの20戦で13戦にスタメン出場し7得点、川崎Fのジョーカーからキングとなる。
また、20年~21年5月末までの通算データによると、ドリブルで抜いた人数40人、ドリブル後のアシスト5回&ラストパス22回の各数字はどれもリーグ1位。Jリーグの枠には収まらないスーパードリブラーへと進化した。
代表ではスタメン抜擢もアピールできず
21年の東京オリンピックに臨んだU-24代表と同年11月にデビューしたA代表では、出場計10戦中、先発は3試合にとどまる。
その中で目に見える結果といえば、21年6月12日の親善試合・U-24ジャマイカ戦での上田綺世へのアシストのみ。特に先月3月29日のベトナム戦は期待されたが、自慢のドリブルを警戒され、マーカーの後ろにカバーが入るDF2人に見張られ続けた。
片や途中出場では、オリンピックの3位決定戦・対メキシコでの大きなフェイクを入れたドリブルシュート、W杯本大会出場へ導いたオーストラリア戦での終了間際の3人抜きと、何度も映像を見たくなる衝撃プレーからゴールを決めてみせた。
上記の表の合計欄を見ると、途中出場の方が先発での得点数より4点上回っている。ゲーム終盤、疲れたDFを相手にドリブルの効力が増す観点からも、スーパーサブでの起用を推したいところ。
ただ、これまで途中出場が既定路線だったU-24&A代表での4得点を対象外とするならば、先発・途中出場共に計13得点で並ぶ。アシスト数もほぼ同数だけに、あの変幻自在のドリブルをキックオフから見たい願望も捨てきれない…。
先輩スーパーサブ、ゴンと野人の意外な数字
過去の日本代表のスーパーサブとして名前がよく出る中山雅史氏、岡野雅行氏の先発・途中出場の各ゴール数も調べてみた。中山氏は国際Aマッチで挙げた全21得点中15点は、意外にもスタメン出場で奪ったものだった。ただし、優勝した1992年ダイナスティカップ決勝・韓国戦での同点弾など、途中出場で大仕事を果たしている。
「野人」こと岡野氏といえば、97年にジョホールバルでフランスW杯行きを決めた歴史的ゴールが代名詞。アジア最終予選プレーオフの対イランで延長戦からピッチに入り、快足を飛ばして決勝点をゲットした。それ以外の代表での得点は、96年親善試合・対ウルグアイでの交代出場で挙げた1点のみである。
両氏それぞれ、数字よりも大舞台で勝利を呼び込んだ記憶に残る得点が、スーパーサブの印象を植え付けたに違いない。同様に三笘も3月24日の大一番、オーストラリア戦で殊勲の2得点を挙げており、そう呼ばれる資格を得ている。
とはいえ、世界に通用する独力を有するアタッカーは、今の日本代表を見渡すと彼だけではないだろうか。正直、スーパーサブだけで終わらせるのはもったいない。
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