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受け継がれる遺伝子!ドーハの悲劇組の二世選手達

2016 10/17 19:21
サッカー
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Photo by EsraKeskinSenay/ Shutterstock.com

1994年アメリカワールドカップを賭けたアジア地区最終予選でサッカー日本代表はドーハの地で涙をのんだ。日本中が失望に包まれた「ドーハの悲劇」だ。現在、ドーハ組の二世選手達がサッカー界で活躍しているのをご存知だろうか。サムライブルーの遺伝子を受け継いだ男たちを紹介する。

日本代表史上最高の左サイドバック!?都並敏史二世”都並優太”

日本代表史上最高の左サイドバックとも呼ばれる都並敏史はドーハの悲劇で悔しい思いをした一人だ。その悔しさは試合に負けた悔しさとはまた違うものだった。都並は最終予選のメンバーに入っていたものの左足を亀裂骨折しておりドーハの悲劇にも出場はしていない。”都並がいれば”と思ったファンも多かったことだろう。
その都並敏史の遺伝子を受け継ぐ息子である都並優太は現在J3のAC長野パルセイロに所属している。2015年シーズンは28試合に出場しチームに貢献したものの2016年シーズンはチームの体制が変わり出場機会に恵まれていない。しかし、父親譲りの負けん気でレギュラーを勝ち取ってもらいたいものだ。

アジアの大砲こと高木琢也二世”高木利弥”

ハンス・オフト監督時代の日本代表で高木琢也はポストプレーを得意とし且つ豪快なシュートを得意としている。中でも1992年アジアカップ決勝で胸トラップからのボレーは伝説となっている。ドーハの悲劇では三浦知良と中山雅史、長谷川健太が先発出場し武田修宏が交代選手として出場していたため高木琢也はベンチから敗戦を経験した。
その高木琢也の息子である高木利弥はJ2のモンテディオ山形のDFとして活躍している。父がセンターフォワードだったのに対し高木利弥がDFというのも面白い。

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