イタリア史上屈指のレジスタ!アンドレア・ピルロ
近年のイタリアが生んだ偉大なレジスタ。それはアンドレア・ピルロ選手(以下、敬称略)に他ならないだろう。
1979年5月19日生まれの彼は、自身の地元のクラブであるブレシア・カルチョ(以下、ブレシア)でキャリアをスタートさせた。ブレシアにはあのロベルト・バッジョ氏(以下、敬称略)が在籍していたことがあり、少しの期間だけキャリアを同じくしている。
少しずつ、しかし確実に成長を遂げるピルロをバッジョの後継者とする声も多かった。
やがてピルロはインテルナツィオナーレ・ミラノ、ACミラン(以下、ミラン)といったイタリアの強豪クラブを渡り歩くようになる。そして2011年には10年在籍したミランから、フリーでユヴェントスFC(以下、ユヴェントス)へと移籍した。
ユヴェントスでは持ち前のレジスタ振りを存分に発揮した。器用なピルロは、短いパスも長いパスも様々な速度で出すことができ、そのタイミングも抜群に良い。たった1人でも、中盤の底から試合をコントロールすることができる稀な存在だ。
ニューヨーク・シティFCに移ってからは、衰えが隠せないのピルロだが、ピッチに立った時の彼のオーラや、サポーターから寄せられる期待感は今でも健在だ。成長し続けるMLSの歴史において、語らずにはいられない選手となっている。
安定感抜群の古株!マイケル・キャリック
混迷を極めるマンチェスター・ユナイテッドFC(以下、ユナイテッド)にとって、マイケル・キャリック選手(以下、敬称略)の存在はどれだけ心強いだろうか。
1981年7月28日生まれのキャリックは、プレミアリーグのクラブでのプレー経験が豊富だ。プレミアのサッカーがどんなものであるか、どういったプレーが求められるかを熟知している。
ユナイテッドはサー・アレックス・ファーガソン監督退任以降、上向かないシーズンが続いている。
大金を投じ多くの選手がやってきたが、インパクトを残せず去っていく選手もまた多かった。クラブの顔は常に変わり続け、プレミアの名門としての名誉は窮地にある。
しかし、そのなかでも変わらず存在するのがキャリックという選手だ。
出場機会は限られてきているが、経験に裏打ちされたポジショニングで中盤のスペースを埋めることに長けている。ボールを持てば落ち着いて処理することができ、ミスと無駄が非常に少ない。
引退の時が近付いているだろうが、願わくばユナイテッドが再びプレミアの王者となるまでは在籍してもらいたいものだ。彼だからできることはまだまだある。
スペインが生んだ頭脳!シャビ・エルナンデス
1980年1月25日生まれのシャビ・エルナンデス選手(以下、敬称略)は、スペイン代表とFCバルセロナ(以下、バルセロナ)の栄光を支えてきた頭脳派プレーヤーだ。
「ピッチの上の全てが見える」と語るシャビは、その言葉通りのプレーを続けてきた。
どの位置にいる味方選手にも的確なパスを供給し、攻撃のタクトを振るってきた。そのプレーの正確さはまるで、鳥となってピッチを俯瞰しているかのようだ。
シャビの170㎝という身長は小柄で、特別ドリブルが得意というわけでもないが、彼は行動の全てが正確過ぎる。ボール持っている選手がどう動けば良いのかを熟知している。
スペイン代表の時は「無敵艦隊の時代」を、バルセロナではカンテラ出身の選手たちメインで構成される「黄金時代」を形成。シャビのたった1つのパスで動いてきた試合はいくつも存在する。
カタールのアル・サッドSCへ渡ってからは、古巣バルセロナのあり方を説くようになってきた。カンテラ出身選手の減りゆく現状を嘆き、改革を訴えている。
現役を退いたとすれば、バルセロナのコーチやフロント入りする可能性は、ゼロではないだろう。内からクラブを支えられるだけの力が、彼にはあるはずだ。
世界で愛された男は今も走る!カカ
1982年4月22日生まれのカカ選手は、サッカー界でとても愛されている選手の1人だ。
ボールを持てば目にも止まらぬ速さでサイドを駆け抜け、ゴールへと迫った。とにかく強く、確固たるアイデンティティを持っていた2000年代のミランにおいて、チームの攻撃を牽引する存在であり続けた。
度々ミランへの愛を語っており、チェルシーFCやレアル・マドリードCF(以下、マドリード)といったビッグクラブからのオファーも断っている。
それでも、2009年にはマドリードに移籍することになるのだが、「この移籍は財政難に苦しむミランを思えばこそ。移籍するのならマドリードしかなかった」と語り、約92億円とされる金額で移籍している。
2017-18シーズンのミランは多額の資金を投じ復権を図っているが、カカ退団前後のシーズンは特に苦しかった。多額の移籍金が支払えるマドリードのオファーに応えた彼の選択は、間違いではないだろう。
その後、2013年にミランに復帰するが、この時の契約は彼がマドリードで受け取っていた給与から大幅の減額となった。そしてMLSに渡ってからのカカは、アメリカとブラジルのクラブでプレーを続け、随所で優れたパスセンスを光らせている。
サッカー選手の顔とは別に、人種差別問題への取り組みや、日本の少年サッカーとの交流も行うなどしている。世界のあちこちを渡り歩きながら、カカは常に笑顔で人々に語りかけ、支持を得ている。カカのような選手はそう多くはいないだろう。
「世界で最も影響力のある100人」、「世界で最も有名なアスリート100人」などへの選出経験もあり、世界でよく知られている選手だ。
日本サッカー史上最高の名手!中村俊輔
今もなお日本の天才と言ってよい選手が、中村俊輔選手(以下、敬称略)だろう。
1978年6月24日に横浜で生まれた中村は、横浜F・マリノス(以下、マリノス)に所属すると一気に頭角を現した。イタリアのASDレッジョ・カラブリア(レッジーナ)、スコットランドのセルティックFC、スペインのRCDエスパニョールといったクラブで活躍し、堂々と日本に帰って来た。
パス精度の高さやFKでの得点力は、日本サッカー史上でも指折りの選手で、名手と言っても差し支えないだろう。
サッカー選手としてはかなり高齢となったが、今でもその存在感は抜群で、海外のサッカーメディアでも度々取り上げられることがある。
2017年1月のジュビロ磐田(以下、ジュビロ)への移籍は、マリノス側にとって大きな痛手となった。マリノスのサポーターは彼の退団を嘆いたが、中村は「お金じゃない。サッカーだけに向き合い、燃え尽きたい」と語った。ジュビロにはかつて代表を同じくした名波監督がおり、その期待に存分に応えている。