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【35歳以上DF限定】堅実な守りを見せるサッカー選手をご紹介!


チェルシーのすべてを見てきた男のなかの男、ジョン・テリー

チェルシーFC(以下、チェルシー)は、2000年代にロマン・アブラモヴィッチ氏によって買収されてから、一躍世界を代表する強豪クラブとなった。
しかし、それ以前には当たり前のようにタイトルを狙えるクラブではなかった。

そんな不遇の時代から成長後の時代まで、チェルシーのすべてを知っている男がいる。それが1980年12月7日生まれのジョン・テリー選手(以下、敬称略)だ。

彼はチェルシーの生え抜きDFで、闘志あるプレースタイルが特徴だ。どんな相手に対しても果敢にフィジカルコンタクトを挑み、相手の攻撃をシャットアウトし続けた。
同クラブのキャプテンを長く務め、入れ替わりの激しくなったチェルシーにおいて、多くの同僚たちをサポートしてきた。同時にその陣容も様変わりし続けたのだが、テリーだけは変わらずスタメンに名を連ね続けることができた。

イングランド代表では少々の問題を抱え、かなり早期での代表引退に至るのだが、その選択もチェルシーでのキャプテン業に集中するには良い選択だったといえる。彼無くして現在のチェルシーはあり得ない。

2016-17シーズン、アントニオ・コンテ監督の下で変革期を迎えたチェルシーにおいては、出場機会を減らすようになるが、前述の通りピッチ内外での言動やサポートはキャプテンとしてふさわしいものだった。

多くの時間をともにしたフランク・ランパード氏は、テリーを「a man's man(男のなかの男)」と称賛している。

涙ながらにそのシーズンを終えたテリーは、まだまだ自身が最前線でプレーできることを証明すべく、アストン・ヴィラFC(以下、アストン・ヴィラ)にフリーで移籍。チェルシーのキャプテンはガリー・ケーヒル選手が引き継いだ。
アストン・ヴィラは2017-18シーズンを英国2部で戦うクラブだが、これはテリーの「(1部に所属する)チェルシーと戦うことは精神的に受け入れることができない」という意志に適うものである。

数多の窮地を救った統率者、リカルド・カルバーリョ

ポルトガル人DFであるリカルド・カルバーリョ選手(以下、敬称略)は、1978年5月18日生まれ。183cmとDFとしては小柄ながらも、複数のクラブの窮地を救い、DF陣を統率し続けてきた。

彼はポルトガルの名門であるFCポルトで、いくつかのクラブを渡り歩きながら地力をつけると、同胞のカリスマ監督、ジョゼ・モウリーニョ監督(以下、敬称略)に見込まれ2004年にチェルシーへと移籍。
成長期にあったチェルシーはこのカルバーリョと、前述のテリーらによって強固な守備陣を形成し、ビッグクラブへと成長した。ラインコントロールの適切な見極めと、前線への正確なロングフィードが彼の持ち味だ。

負傷の多い選手ではあったが、出場すれば必ずといっていいほど堅実な守りを展開した。
2006-07シーズンのチェルシーは苦しい時期が続くが、モウリーニョは「2006-07シーズンのチェルシーで最も信頼のおけるDFだった」と称賛した。

その後、モウリーニョがレアル・マドリードCF(以下、マドリード)の監督となると、これに呼応するようにマドリードへ移籍。セルヒオ・ラモス選手、ペペ選手らと守備陣を形成し、彼らが負傷した時期にはカルバーリョがその穴をきっちりと埋めた。

歳を重ねるようになると、ASモナコや中国の上海上港集団足球倶楽部へと活躍の舞台を移しつつ、現役生活を続けている。

明るく気さくな赤い悪魔、パトリス・エブラ

1981年5月15日生まれのパトリス・エブラ選手(以下、敬称略)は、「赤い悪魔」の愛称で知られるマンチェスター・ユナイテッドFC(以下、ユナイテッド)の主力として長年にわたり活躍を続けた。在籍した2006-14シーズンの間に、ユナイテッドの不動の左SBとして君臨。エブラ在籍以前、ユナイテッド不動の左SBであったガブリエル・エインセ氏は、エブラに追われる形で移籍を余儀なくされた。

相手の攻撃を先読みすることに長け、マンマークにつく際にも安定した勝負強さを披露し、いくつものタイトル獲得に貢献した。

その後はユヴェントスFCやオリンピック・マルセイユに活躍の舞台を移すが、エブラのシャットアウトぶりは健在だ。
近年のサッカー界では、スピードのあるSBが一種のトレンドとなっているが、エブラの所属するクラブにそのトレンドは通じない。無駄がなく常に正確な彼の守りは、どのクラブよりも速いポジティブトランジション(守→攻への切り替え)を可能にする。彼に任せていれば左サイドは安全なのだ。

また、彼は明るく気さくな人柄であることがよく知られており、彼がSNSに度々投稿するダンス動画は話題を呼んでいる。これまで所属した複数のクラブや、フランス代表においてもムードメーカーだった。

マルチな才能を見せたメキシカンDF!ラファエル・マルケス

1979年2月13日生まれで、FCバルセロナ(以下、バルセロナ)等で活躍したラファエル・マルケス選手(以下、敬称略)は、欧州の表舞台を退いて久しいが、今もなお母国メキシコで現役を続行している。2016年からはかつて自身がユース、そしてトップチームデビューを飾ったメキシコの古豪クラブ、CFアトラスに所属している。

マルケスはMFとしてもプレーが可能で、ボールの扱いに長ける技巧派の選手として知られている。その技術こそがバルセロナで重きを置かれた理由で、同クラブの華麗な攻撃を支えていた。
さらにマルケスは、アメリカで開催されたFKの上手さを競う大会「フリーキックマスターズ2008」に出場し、同僚であるリオネル・メッシ選手、ロナウジーニョ選手、そしてバルセロナOBのロマーリオ氏といった数多の名フリーキッカーを抑え優勝している。

なお、メキシコ代表としても現役を続行しており、堅実な守備と後方からのゲームメイクを演出し続けている。

日本代表とJリーグの鉄人DF!中澤佑二

日本代表として110もの試合に出場し、長年にわたりキャプテンを務めてきたのが1978年2月25日生まれの中澤佑二選手(以下、敬称略)だ。
ボンバーヘッドが特徴的な中澤はピッチ内外で絶大な存在感を放ってきたが、その存在感は髪型だけによるものではない。

空中戦での勝負強さ、優れたキャプテンシーによる味方への鼓舞と統率、そして強力なヘディングシュートが持ち味で、彼の存在の有無が試合の勝利を左右してきた。代表においても、長年所属する横浜F・マリノス(以下、マリノス)においても、彼の力に助けられるシーンが多かった。

中村俊輔選手退団後のマリノスにおいては、彼の存在の重要性が再確認されている。クラブの象徴として、そしてJリーグの象徴でもある中澤は2017年5月にJ1リーグ通算550試合出場を達成。 鉄人として活躍を続けている。

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